玉座の聖母子と八天使
ピストイアのサン・フランチェスコ聖堂に安置されていた祭壇画。ヴァザーリの「芸術家列伝」によると少人数によるプレデッラがあった。たびたび修復されていて、祭壇画の上部も切断されている。
初期の作品と比較すると、人物の表現が簡潔で力強さを増し、天使のヴォリュームが強調されている。見つめ合う聖母と幼児キリストからは人なつこさが少なくなっている。
台座部分に「シエナ出身のペトルス・ラウレンティー、1340年にわれを描く」と署名・年記が記されている。しかしその最後の部分が不明で、説明のなかで制作時期の年記の読み方が1315年、1316年、1340年、1343年と様々に変わっている。
下の画像でM・CCC で1300、・X ・のXの右にスペースがあって中黒、さらにその右には修復の際に加えられたネオ・ゴシック様式の装飾。Xスペースの部分が、XL・40、XV・15、XVI・16となり、装飾が書き加えられた部分には日付を示す守護聖人の名前があったかもと思える。
アラビア数字の使用が制限されていた時期があって、ルネサンス期の作品にもローマ数字の使用が見られる。
1340年代
ピエトロ・ロレンツェッティ Pietro lorenzetti
玉座の聖母子と八天使
1340/43年 板・テンペラ 145×122cm
イタリア フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集10 ゴシック2
初期の作品と比較すると、人物の表現が簡潔で力強さを増し、天使のヴォリュームが強調されている。見つめ合う聖母と幼児キリストからは人なつこさが少なくなっている。
台座部分に「シエナ出身のペトルス・ラウレンティー、1340年にわれを描く」と署名・年記が記されている。しかしその最後の部分が不明で、説明のなかで制作時期の年記の読み方が1315年、1316年、1340年、1343年と様々に変わっている。
下の画像でM・CCC で1300、・X ・のXの右にスペースがあって中黒、さらにその右には修復の際に加えられたネオ・ゴシック様式の装飾。Xスペースの部分が、XL・40、XV・15、XVI・16となり、装飾が書き加えられた部分には日付を示す守護聖人の名前があったかもと思える。
アラビア数字の使用が制限されていた時期があって、ルネサンス期の作品にもローマ数字の使用が見られる。
1340年代
玉座の聖母子と八天使
1340/43年 板・テンペラ 145×122cm
イタリア フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集10 ゴシック2