聖母子
ジョットの弟子のなかで師に最も忠実で、優れていたとされるマーゾ・ディ・バンコ。
1345年頃および1346年の医師・薬種商組合の記録に登場しているマーゾは1348年のペスト大流行のときに死亡したらしい。生年などは不明。現存する作品から、画家としての活動は1329年、ジョットがナポリ王に招かれたときに同行し、その後ミラノにも師と共に行ったらしい。
ベルナルド・ダッディ、タッデオ・ガッディとともに師の円熟期から活動を開始。合理的な絵画空間、三次元の厚みをもった人物像、人物たちの肌や衣裳に施されたスフマートなど師から学んだことをを穏健に実践している。また豊かで柔和な色彩にはシエーナ派の影響が指摘されている。部分的に同時代の画家への影響も見られるが、ジョットとともに真に評価され理解者を得るのは15世紀を待たねばならなかった。
この作品はジョット以上に自然主義的(幼児イエスの仕種・絡み合う指など)で、前時代の形式と精神への回帰の方向へ向かった画家たちには理解されなかった。
1330年代
マーゾ・ディ・バンコ Maso di Banco
聖母子 1330年頃 板 テンペラ 80×49cm
ベルリン 国立絵画館
世界美術大全集10 ゴシック2
1345年頃および1346年の医師・薬種商組合の記録に登場しているマーゾは1348年のペスト大流行のときに死亡したらしい。生年などは不明。現存する作品から、画家としての活動は1329年、ジョットがナポリ王に招かれたときに同行し、その後ミラノにも師と共に行ったらしい。
ベルナルド・ダッディ、タッデオ・ガッディとともに師の円熟期から活動を開始。合理的な絵画空間、三次元の厚みをもった人物像、人物たちの肌や衣裳に施されたスフマートなど師から学んだことをを穏健に実践している。また豊かで柔和な色彩にはシエーナ派の影響が指摘されている。部分的に同時代の画家への影響も見られるが、ジョットとともに真に評価され理解者を得るのは15世紀を待たねばならなかった。
この作品はジョット以上に自然主義的(幼児イエスの仕種・絡み合う指など)で、前時代の形式と精神への回帰の方向へ向かった画家たちには理解されなかった。
1330年代
聖母子 1330年頃 板 テンペラ 80×49cm
ベルリン 国立絵画館
世界美術大全集10 ゴシック2