聖母子
シエナでは1220〜1260年頃の作品は奇妙なほど残されていない、「シエナ美術の暗黒時代」とも呼ばれる。13世紀後半になってシエナではビザンティン美術やピサ・ルッカの影響を脱した独自の一派が形成されていった。
この作品にはグイドの名とともに1221年の年記がある。作者はシエナ出身のグイド、1221年は制作された年ではなく聖ドミニクスの没年とされている。この聖母の顔は後にドゥッチョ風に描き直されている。
空間の意識、人間的な表現、堂々としたモニュメンタリティ、輝かしい色彩による装飾性など13世紀後半のシエナではグイドは圧倒的な存在だった。
グイドの作風を形成するのにフィレンツェの画家コッポ・ディ・マルコヴァルドが大きな役割を果たしたらしい。1260年のモンタペルティの戦いで捕虜となったコッポは1261年の年記がある「ボルドーネの聖母」をシエナで描いている。この作品もドゥッチョ風に描き直されているがグイドの作品との関連を明らかに示している。
1200年代後半
グイド・ダ・シエナ Guido da Siena 聖母子
1270年代 板 テンペラ 283×194cm
イタリア シエナ パラッツォ・プッブリコ
世界美術大全集10 ゴシック2
この作品にはグイドの名とともに1221年の年記がある。作者はシエナ出身のグイド、1221年は制作された年ではなく聖ドミニクスの没年とされている。この聖母の顔は後にドゥッチョ風に描き直されている。
空間の意識、人間的な表現、堂々としたモニュメンタリティ、輝かしい色彩による装飾性など13世紀後半のシエナではグイドは圧倒的な存在だった。
グイドの作風を形成するのにフィレンツェの画家コッポ・ディ・マルコヴァルドが大きな役割を果たしたらしい。1260年のモンタペルティの戦いで捕虜となったコッポは1261年の年記がある「ボルドーネの聖母」をシエナで描いている。この作品もドゥッチョ風に描き直されているがグイドの作品との関連を明らかに示している。
1200年代後半
グイド・ダ・シエナ Guido da Siena 聖母子
1270年代 板 テンペラ 283×194cm
イタリア シエナ パラッツォ・プッブリコ
世界美術大全集10 ゴシック2