玉座の聖母子
子の輪郭が母からはみ出した自然なホデキトリア型聖母子像。
コッポ・ディ・マルコヴァルド
フィレンツェ 1225/30〜1280年頃
13世紀の大家の一人
フィレンツェ洗礼堂ドームのモザイク制作に参加、「最後の審判」を手がけたとされている。
1260年モンタペルティの戦いにフィレンツェのグエルフィ党(教皇党)の一員として参加、捕虜となった。これが彼についての最初の確実な記録。
この作品や息子との共同製作の「磔刑像」1274年 ピストイア大聖堂 ではチマブーエの作風を予告する合理的関係が意図されている。
画像 世界美術大全集10 ゴシック2
説明 世界美術大事典2 1200年代後半
コッポ・ディ・マルコヴァルド
Coppo di Marcovaldo
玉座の聖母子 1265〜70年
板 テンペラ 238×135cm
イタリア, オルヴィエート, サンタ・マリア・ディ・セルヴィ聖堂
コッポ・ディ・マルコヴァルド
フィレンツェ 1225/30〜1280年頃
13世紀の大家の一人
フィレンツェ洗礼堂ドームのモザイク制作に参加、「最後の審判」を手がけたとされている。
1260年モンタペルティの戦いにフィレンツェのグエルフィ党(教皇党)の一員として参加、捕虜となった。これが彼についての最初の確実な記録。
この作品や息子との共同製作の「磔刑像」1274年 ピストイア大聖堂 ではチマブーエの作風を予告する合理的関係が意図されている。
画像 世界美術大全集10 ゴシック2
説明 世界美術大事典2 1200年代後半
Coppo di Marcovaldo
玉座の聖母子 1265〜70年
板 テンペラ 238×135cm
イタリア, オルヴィエート, サンタ・マリア・ディ・セルヴィ聖堂