説教壇 ピサ洗礼堂
イタリアのゴシック彫刻はアルプス以北の大聖堂装飾を主としたゴシック彫刻とは異なり、説教壇・墓碑・噴水など独立した構造物として発展してきた。
プロヴァンス、ビザンティン、古代などの影響をうけながら地域性の強いロマネスク彫刻となり、ロンバルディア、トスカーナで独自の発展が見られる。ナポリ王国ではその支配者を皇帝フリードリヒ2世、フランスアンジュー家と変えることで世俗的で擬古典的な帝国様式が現れ、受け継がれていた。
1260年の年記があるニコラ・ピサーノのピサ洗礼堂説教壇によって13世紀後半のイタリア彫刻の自然主義が始まった。「ピサーノ派とイタリア・ゴシック彫刻」で森雅彦氏はニコラは南イタリアで育ち、若い頃トスカーナに移住したと想定されているが受け入れやすい。名前から見てピサに来てから彫刻家としての活動を始めたのかもしれない。
1250年に完成したグイド・ダ・コモのピストイアにある説教壇と比べると、グイドの作品は奥行きが前面に限定されているのに対しニコラの作品では奥行きが前景から後景へ広がっている。またそこには古拙な英雄性や感情表現が見られるが、以後ニコラとその工房はより柔らかく洗練された描写へと向かっている。活動を始めた頃のニコラが持っていた感覚が表された作品。
拡大画像 1200年代後半 イタリア彫刻
ニコラ・ピサーノ Nicola Pisano
説教壇 1260年
大理石 高さ465cm
イタリア, ピサ洗礼堂 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2
プロヴァンス、ビザンティン、古代などの影響をうけながら地域性の強いロマネスク彫刻となり、ロンバルディア、トスカーナで独自の発展が見られる。ナポリ王国ではその支配者を皇帝フリードリヒ2世、フランスアンジュー家と変えることで世俗的で擬古典的な帝国様式が現れ、受け継がれていた。
1260年の年記があるニコラ・ピサーノのピサ洗礼堂説教壇によって13世紀後半のイタリア彫刻の自然主義が始まった。「ピサーノ派とイタリア・ゴシック彫刻」で森雅彦氏はニコラは南イタリアで育ち、若い頃トスカーナに移住したと想定されているが受け入れやすい。名前から見てピサに来てから彫刻家としての活動を始めたのかもしれない。
1250年に完成したグイド・ダ・コモのピストイアにある説教壇と比べると、グイドの作品は奥行きが前面に限定されているのに対しニコラの作品では奥行きが前景から後景へ広がっている。またそこには古拙な英雄性や感情表現が見られるが、以後ニコラとその工房はより柔らかく洗練された描写へと向かっている。活動を始めた頃のニコラが持っていた感覚が表された作品。
拡大画像 1200年代後半 イタリア彫刻
説教壇 1260年
大理石 高さ465cm
イタリア, ピサ洗礼堂 モノクロ
世界美術大全集10 ゴシック2