
ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴの肖像 大使たち
聖ミカエル騎士団の騎士でポリシーの領主、ジャン・ド・ダントヴィル(1504〜1555)は1533年2月から11月までロンドンに滞在していた。ヘンリー8世と2度目の妃アン・ブーリンの結婚によってイギリスとヴァティカンの関係が険悪になっていたが、フランス王フランソワ1世は結婚を容認することを伝えるためだった。
ラヴォールの司教に叙階されることが決まっていたジョルジュ・ド・セルヴ(1508/09〜1541)は1533年4月中旬から5月末まで、フランス王の利益のために極秘にされた目的のためにロンドンに滞在していた。
二人の間の棚には多くの物が置かれている。弦の切れたリュートは不和を表し、ルターのドイツ語訳のページが開かれた賛美歌集は、宗教改革によるキリスト教世界の危機を表している。
1530年代
ラヴォールの司教に叙階されることが決まっていたジョルジュ・ド・セルヴ(1508/09〜1541)は1533年4月中旬から5月末まで、フランス王の利益のために極秘にされた目的のためにロンドンに滞在していた。
二人の間の棚には多くの物が置かれている。弦の切れたリュートは不和を表し、ルターのドイツ語訳のページが開かれた賛美歌集は、宗教改革によるキリスト教世界の危機を表している。
1530年代
床のモザイクはウェストミンスター修道院のモザイクを模している。左端上部の十字架像は死からの救いと解放を意味し、ダントヴィルの帽子徽章の髑髏は人の死すべき運命を表している。下部の斜めに引き延ばされたようなものは、斜めから見た髑髏。線遠近法の研究が進んだ、15世紀に発見されたアナモルフォーズという技法で描かれている。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
名画への旅10 北方ルネサンス2 講談社
ハンス・ホルバイン(子)
ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴの肖像
(通称「大使たち」)
1533年 板 テンペラ 207×209.5cm
ロンドン ナショナル・ギャラリー
世界美術大全集14 北方ルネサンス
名画への旅10 北方ルネサンス2 講談社
ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴの肖像
(通称「大使たち」)
1533年 板 テンペラ 207×209.5cm
ロンドン ナショナル・ギャラリー
