
皇帝オットー3世の正義

ルーヴァン市は1468年、新しく建てられた市庁舎を飾るために4点連作の「正義図」を依頼した。「正義図」は公的な場に置かれ、人々に道徳的訓戒を与えるための作品で15世紀のフランドルで多く描かれていた。
オットー3世は妻の告げ口によって一人の臣下を斬首刑にしてしまう。臣下の未亡人は亡き夫の無実を証明するために、皇帝の前で赤く焼けた鉄の棒を握るが、神の加護のため火傷しなかった。真実を悟った皇帝は自分を欺いた妻を火刑に処した。
1470年代
オットー3世は妻の告げ口によって一人の臣下を斬首刑にしてしまう。臣下の未亡人は亡き夫の無実を証明するために、皇帝の前で赤く焼けた鉄の棒を握るが、神の加護のため火傷しなかった。真実を悟った皇帝は自分を欺いた妻を火刑に処した。
1470年代
バウツは右の「火による神判」を1470〜73年にかけて制作し、左の「臣下の処刑」にとりかかったが、1475年に死去してしまった。作品は未完のまま弟子たちに委ねられている。
右端の画像は「火による神判」の遠景、火刑の部分。ディーリック・バウツ Dieric Bouts
皇帝オットー3世の正義
1470〜75年 板 油彩 各394×202cm
ブリュッセル ベルギー王立美術館
世界美術大全集14 北方ルネサンス
右端の画像は「火による神判」の遠景、火刑の部分。
皇帝オットー3世の正義
1470〜75年 板 油彩 各394×202cm
ブリュッセル ベルギー王立美術館
世界美術大全集14 北方ルネサンス