
フィリップ善良公 ブリュージュ
フィリップ善良公(在位1419〜67年)の時代、ブルゴーニュ公国は最も繁栄した。1435年、イギリス支援をやめたフィリップ善良公はフランス王シャルル7世と「アラスの和約」を結んだ。シャルル7世はフィリップの父ジャン無怖公の暗殺を謝罪し、無怖公の冥福を祈るため、殺害場所モントローの橋に十字架を立て、ディジョン、パリ、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステーラに聖堂を建設することになった。さらに、フィリップはシャルル7世への封建的臣従礼を免除され、ブーローニュ、オーセール、マコンの諸伯領とソンム川流域のアミアンのほか、いくつかの都市を手に入れた。
この頃からディジョンに代わって、ネーデルラントの都市に宮廷が置かれるようになり、フィリップはブリュージュを好んだ。
1430年代
この頃からディジョンに代わって、ネーデルラントの都市に宮廷が置かれるようになり、フィリップはブリュージュを好んだ。
1430年代
美術家たちは仕事を求めてブリュージュに移住してきた。ブラバンド地方出身とされるペトルス・クリストゥスは1444年にブリュージュの市民権を得、ドイツ、ゼーリンゲンシュタット出身のハンス・メムリンクは1465年にブリュージュで仕事を始めている。オランダからはヘラルト・ダフィットが来て、フランス人画家も活動していた。メディチ銀行ブリュージュ支店のポルティナーリは祭壇画「羊飼いの礼拝(1475〜80)」をファン・デル・フースに注文している。
市民からの注文もあった宮廷画家、ヤン・ファン・エイクは恵まれた境遇の中で、装飾的な中世ゴシック様式から、写実に基づく新しい絵画様式を作り上げた。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
市民からの注文もあった宮廷画家、ヤン・ファン・エイクは恵まれた境遇の中で、装飾的な中世ゴシック様式から、写実に基づく新しい絵画様式を作り上げた。
世界美術大全集14 北方ルネサンス