
十字架降下

ルーヴァン市の石弓組合が城壁外聖母聖堂にある組合付属の礼拝堂のために注文した作品とされる。16世紀中頃、ネーデルラント総督によって買い取られ、後にフェリペ2世のもとへ送られたときに海難事故に遭って、海を漂い、回収されたとも伝えられる。
1574年にフェリペ2世がエル・エスコリアルに送った記録には、左翼に四福音書記者、右翼に復活が表されていると記されているが、両翼は失われている。1443年の年記がある縮小模写などが残されていて、それ以前に制作されたことがわかる。
金地の壁龕のような空間に10人の人物が配されている。左端の聖母を支えているヨハネと右端のマグダラのマリアが構図の両端を括弧のように閉じ、キリストと聖母は対角線状の相似のポーズをとっている。
1574年にフェリペ2世がエル・エスコリアルに送った記録には、左翼に四福音書記者、右翼に復活が表されていると記されているが、両翼は失われている。1443年の年記がある縮小模写などが残されていて、それ以前に制作されたことがわかる。
金地の壁龕のような空間に10人の人物が配されている。左端の聖母を支えているヨハネと右端のマグダラのマリアが構図の両端を括弧のように閉じ、キリストと聖母は対角線状の相似のポーズをとっている。
キリストと聖母の相似のポーズは、中世の神学者の、聖母は受難と贖罪をキリストと共有したという考えを、最初に視覚化したとする説もある。
聖母を始めすべての人が涙を流している。聖母の蒼白な頬の涙は、その穏やかな表情のため、涙だけで気を失った聖母の悲しみの深さを伝えている。
1430年代ロヒール・ファン・デル・ウェイデン Rogier van der Weyden
十字架降下
1435〜38年頃 板 油彩 220×262cm
マドリード プラド美術館
世界美術大全集14 北方ルネサンス
聖母を始めすべての人が涙を流している。聖母の蒼白な頬の涙は、その穏やかな表情のため、涙だけで気を失った聖母の悲しみの深さを伝えている。
1430年代
十字架降下
1435〜38年頃 板 油彩 220×262cm
マドリード プラド美術館
世界美術大全集14 北方ルネサンス