
ハンザ同盟
ハンザは中世ドイツ語でギルド・仲間という意味で、商人仲間の互助会だった。1157年にケルンの商人がロンドンでギルドホールをつくることが認められたのが始まりで、それが都市同盟に発展してハンザ同盟になった。中心はヴィスビイとリューベック。13世紀のバルト海はヴィスビイからノヴゴロドにかけて国際交易が盛んだった。あらたに建設されたリガ、タリン、ダンツィヒには、主にドイツ商人が移住し、毛織物、塩、海産物、琥珀、毛皮などの商品を中継し、各地に運んだ。
用語集 ヨーロッパ史年表
世界各国史13 ドイツ史
地図 世界史アトラス 集英社
用語集 ヨーロッパ史年表
世界各国史13 ドイツ史
地図 世界史アトラス 集英社
ロストックなどのリューベック諸都市とゴスラー、ベルリンなどザクセン諸都市はドイツ商人の身体と商品を守るために1265年に連合をつくり、これとヴェストファーレン・ライン諸都市とが合体して、1280年代にハンザ同盟が完成した。
リューベック法を母法とする都市は100をこえ、1358年にはリューベックにハンザ同盟の本部が、73年には控訴裁判所が設置された。
ハンザ同盟は国際交易を目的とした都市連合だが、一定の軍事力ももっていた。1368年にはデンマークと敵対し、戦いに勝って、1380年シュトラールズントの和約でハンザのバルト海での覇権を認めさせている。
リューベック法を母法とする都市は100をこえ、1358年にはリューベックにハンザ同盟の本部が、73年には控訴裁判所が設置された。
ハンザ同盟は国際交易を目的とした都市連合だが、一定の軍事力ももっていた。1368年にはデンマークと敵対し、戦いに勝って、1380年シュトラールズントの和約でハンザのバルト海での覇権を認めさせている。
