
30年戦争 第2段階 デンマーク戦争
30年戦争 第2段階 デンマーク戦争(1625〜29)
皇帝権力強化とスペインのプファルツ侵攻に脅威を感じたのはフランスだった。1624年に政権を掌握した宰相リシュリューは、北ドイツの諸侯、オランダ、イギリス、デンマークに働きかけ、1625年にハーグ同盟を結んだ。
新教側で直接行動にでたのは、ホルシュタイン侯として帝国議会に議席があり、プロテスタントの危機を感じていたデンマーク国王クリスチャン4世(在位1588〜1648)。皇帝側は傭兵隊長で1625年に皇帝軍の総司令官に任命されたヴァレンシュタイン。
1620年代
世界各国史13 ドイツ史
皇帝権力強化とスペインのプファルツ侵攻に脅威を感じたのはフランスだった。1624年に政権を掌握した宰相リシュリューは、北ドイツの諸侯、オランダ、イギリス、デンマークに働きかけ、1625年にハーグ同盟を結んだ。
新教側で直接行動にでたのは、ホルシュタイン侯として帝国議会に議席があり、プロテスタントの危機を感じていたデンマーク国王クリスチャン4世(在位1588〜1648)。皇帝側は傭兵隊長で1625年に皇帝軍の総司令官に任命されたヴァレンシュタイン。
1620年代
世界各国史13 ドイツ史
1626年、ティリー将軍がルッターの戦いでクリスチャン4世を破るあいだに、ヴァレンシュタインは軍を率いて北上、メクレンブルクを占領してユートラント半島に迫った。
1629年、皇帝軍優勢のうちにヴァレンシュタインはデンマークとリューベック講和条約を結び、皇帝は帝国等族にはかることなく単独で「復旧勅令」を発布した。この「復旧勅令」は1552年以降没収された教会領をカトリック側に返還することを命じたもので、皇帝絶対主義を意味していた。
プロテスタント諸侯は危機感を強め、宗派対立を越えた16世紀の皇帝対帝国等族の対抗関係も見えてきた。またヴァレンシュタインが「バルト海、大西洋の提督」に任命されたことはスウェーデンを刺激した。
1629年、皇帝軍優勢のうちにヴァレンシュタインはデンマークとリューベック講和条約を結び、皇帝は帝国等族にはかることなく単独で「復旧勅令」を発布した。この「復旧勅令」は1552年以降没収された教会領をカトリック側に返還することを命じたもので、皇帝絶対主義を意味していた。
プロテスタント諸侯は危機感を強め、宗派対立を越えた16世紀の皇帝対帝国等族の対抗関係も見えてきた。またヴァレンシュタインが「バルト海、大西洋の提督」に任命されたことはスウェーデンを刺激した。