
リシュリュー 事実上の宰相
1624年国務会議に入ったリシュリューは、すぐに事実上の宰相の地位を確立した。重要な課題は、30年戦争のなかのヨーロッパでフランスの地位を確保することだった。対立するのは、ハプスブルク家。イエズス会で学んだカトリック教徒、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は、スペインと連携してヨーロッパに政治的・宗教的覇権を樹立しようとしていた。リシュリューはフェルディナントに敵対する勢力を支援する政策をとり、プロテスタント側にたって、1635年に30年戦争に直接参戦した。
この参戦は国内政策にも大きく影響した。アンリ4世によって再開された中央集権化が急速に進み、臣民との交渉や対話に代わり、リシュリューの指導の下で、王権の政策が一方的に押しつけられるようになった。
1620年代
世界各国史12 フランス史
この参戦は国内政策にも大きく影響した。アンリ4世によって再開された中央集権化が急速に進み、臣民との交渉や対話に代わり、リシュリューの指導の下で、王権の政策が一方的に押しつけられるようになった。
1620年代
世界各国史12 フランス史
この時期大増税がおこなわれたが、従来からの全国三部会・名士会を召集して賛同を得るという手続きをとらず、中央集権的官僚組織を整備することによって進められた。1629年から国王直轄官僚の地方長官が全国に常駐することになり、直接税タイユの見直しが進められていた。地方三部会によって直接税が徴収されていた地域では地方三部会が廃止・形骸化されて、エレクシオンと呼ばれる国王役人による徴収機構に変えられていった。
大貴族たちにとっては、リシュリューは伝統的な「自由」を無視し、専制政治をおこなう者で、彼に抵抗する動きもあった。1630年には、マリ・ド・メディシスと王弟ガストン・ドルレアンの周囲に集まった者たちの企てを阻止し、王族や大貴族の抵抗の動きを押さえ込むことができた。ルイ13世は彼の能力を見抜いていたのか、一貫してリシュリューを支持していた。
大貴族たちにとっては、リシュリューは伝統的な「自由」を無視し、専制政治をおこなう者で、彼に抵抗する動きもあった。1630年には、マリ・ド・メディシスと王弟ガストン・ドルレアンの周囲に集まった者たちの企てを阻止し、王族や大貴族の抵抗の動きを押さえ込むことができた。ルイ13世は彼の能力を見抜いていたのか、一貫してリシュリューを支持していた。