
黄金同盟
カトリック諸邦は対抗宗教改革を鮮明にしたトリエント公会議の精神を積極的に取り入れた。ミラノ大司教カルロ・ボロメーオはスイス各地を巡察、カトリック諸邦の首都にはイエズス会のギムナジウムを設立、上層身分の人々の教育をおこなった。下層身分の人々のためには、各地にカプチン会修道院が建てられた。
1579年には聖職者の質の向上を図るためミラノに「スイス神学院」がつくられ、ルツェルンには教皇大使が常駐した。
1577年にはカトリック内陸5邦はサヴォワと防衛同盟を結び、翌年フリブールも参加した。
1586年に全カトリック邦の間で「黄金同盟」が結ばれ宗派結集が実現された。このような動きはジュネーヴの脅威となった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1580年代
1579年には聖職者の質の向上を図るためミラノに「スイス神学院」がつくられ、ルツェルンには教皇大使が常駐した。
1577年にはカトリック内陸5邦はサヴォワと防衛同盟を結び、翌年フリブールも参加した。
1586年に全カトリック邦の間で「黄金同盟」が結ばれ宗派結集が実現された。このような動きはジュネーヴの脅威となった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1580年代