
オランダ・イギリス インド洋に進出
1580年ポルトガルはスペインに併合されて、同君連合に入った。1585年5月、スペインはオランダに対して軍事的攻勢にでるとともに、オランダとの貿易を全面的に禁止し、オランダ船の拿捕命令をだした。1598年フェリペ3世の即位と同時に、改めて貿易禁止令をだしている。そのためオランダの商人はアジア産の香辛料が入手できなくなり、自らアジアをめざすことになった。
アジアにあるポルトガルの交易拠点はスペインの敵とも戦うことになり、1596年以降オランダ人が、1602年からはイギリス人がインド洋に進出し、ポルトガルの交易独占に挑戦した。両国の攻撃は1630年代以降に激化した。
1580年代 ヨーロッパ史年表
アジアにあるポルトガルの交易拠点はスペインの敵とも戦うことになり、1596年以降オランダ人が、1602年からはイギリス人がインド洋に進出し、ポルトガルの交易独占に挑戦した。両国の攻撃は1630年代以降に激化した。
1580年代 ヨーロッパ史年表
ポルトガルのインド領の財政は危機に瀕していた。拡大した交易拠点帝国の商館・要塞とそれらを支援する巡洋艦の維持には多大な経費が必要で、インド領の収入ではまかなえず、ポルトガル・スペインからの支援も期待できなかった。1630〜60年代、ポルトガルはマラッカ、セイロン、インドの多くの拠点、インドネシアの大部分を失い、ペルシア湾、日本から追われた。65年頃には、ゴアなどマラバル海岸の一部、マカオ、東ティモールを残すだけになっていた。リスボン当局はアジアでの権益を守るより、ブラジルを中心にした大西洋帝国をめざすようになった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
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