
聖バルテルミの虐殺
1560年シャルル9世(在位1560〜74 10歳)が即位し、母親のカトリーヌ・ド・メディシスが摂政となった。カトリーヌはカトリックだったが、カトリック勢力の中心、ギーズ家が強くなりすぎることを警戒して、プロテスタントに対しても融和的な姿勢をみせていた。両陣営のバランスをとりながら、王権の回復を図っていた。
1572年、プロテスタントのブルボン家アンリとシャルル9世の妹マルグリットの婚礼にプロテスタント貴族もパリに集まっていた。8月24日(サンバルテルミの祝日)の未明、カトリック信徒によるユグノーにたいする虐殺が始まり、各地に広がった。
1570年代
世界各国史12 フランス史 詳説 世界史研究 山川出版社
1572年、プロテスタントのブルボン家アンリとシャルル9世の妹マルグリットの婚礼にプロテスタント貴族もパリに集まっていた。8月24日(サンバルテルミの祝日)の未明、カトリック信徒によるユグノーにたいする虐殺が始まり、各地に広がった。
1570年代
世界各国史12 フランス史 詳説 世界史研究 山川出版社
フランスのプロテスタントは、カルヴァンの政治思想にそって国王を尊重していたが、この事件を機会に国王から離れていった。1576年、カトリックも旧教同盟(リーグ)を結成した。
1588年、国王アンリ3世(在位1574〜89 シャルルの弟)はパリを掌握していた旧教同盟と対立して、パリを追われた。アンリ3世は三部会が開かれていたブロワで旧教同盟のギーズ公アンリを暗殺したが、1589年にカトリックの修道士に刺殺された。
王国基本法によって王位継承者になっていたアンリ・ド・ブルボンが、アンリ4世(在位1589〜1610)として即位を宣言した。旧教同盟はアンリを新国王と認めず、戦いを続けたが、パリでの過激な行動のために、穏健カトリックのブルジョワジーは離れていった。
1588年、国王アンリ3世(在位1574〜89 シャルルの弟)はパリを掌握していた旧教同盟と対立して、パリを追われた。アンリ3世は三部会が開かれていたブロワで旧教同盟のギーズ公アンリを暗殺したが、1589年にカトリックの修道士に刺殺された。
王国基本法によって王位継承者になっていたアンリ・ド・ブルボンが、アンリ4世(在位1589〜1610)として即位を宣言した。旧教同盟はアンリを新国王と認めず、戦いを続けたが、パリでの過激な行動のために、穏健カトリックのブルジョワジーは離れていった。
