
ヘンリ8世とトマス・ウルジ
1509年に即位したヘンリ8世(在位1509〜47)は、平穏で国庫も豊かな王国を受け継いだ。ヘンリ7世の堅実な国家運営によるものだったが、新国王はルネサンス的国家威信をめざして、大陸への軍事的野心を持ち続けた。その治世前半を支えたのがトマス・ウルジだった。
トマス・ウルジは家畜食肉業者の家庭に生まれ、聖職者になって、ヘンリ7世の晩年に王室礼拝堂の司祭となった人物。ヘンリ8世の時代にヨーク大司教、枢機卿、大法官、教皇特使などを務めた。30程の小修道院を解散させ、没収した財産でオクスフォード大学にカーディナル・カレッジ(のちのクライスト・チャーチ)を創設するなど、教会改革、学問保護もおこなったが不十分なものだった。自らの邸宅としてハンプトン・コートを築き、その豪華さがヘンリの不興を招いて、ヘンリの離婚問題処理の失敗で失脚した。
1500年代
世界各国史11 イギリス史
トマス・ウルジは家畜食肉業者の家庭に生まれ、聖職者になって、ヘンリ7世の晩年に王室礼拝堂の司祭となった人物。ヘンリ8世の時代にヨーク大司教、枢機卿、大法官、教皇特使などを務めた。30程の小修道院を解散させ、没収した財産でオクスフォード大学にカーディナル・カレッジ(のちのクライスト・チャーチ)を創設するなど、教会改革、学問保護もおこなったが不十分なものだった。自らの邸宅としてハンプトン・コートを築き、その豪華さがヘンリの不興を招いて、ヘンリの離婚問題処理の失敗で失脚した。
1500年代
世界各国史11 イギリス史
ヘンリ8世は増強した海軍力を背景に、大陸諸国の国際関係に関わっていった。しかし、いくつかの軍事的成功はあったが、フランスとハプスブルク家の対立の中で、戦費負担が国王財政を破綻させることになった。華やかな宮廷生活を誇示したこともあって、あらたな財源確保を迫られた。
ヘンリとキャサリンの間に娘メアリがいたが、王朝成立から半世紀、前例のない女王の誕生で国内が混乱するおそれがあった。ヘンリは1520年代になって、出産が難しい年齢になっていたキャサリンを諦め、男子誕生を若いアン・プーリンに期待するようになった。離婚問題を託されたのがトマス・ウルジ。ウルジは、キャサリンとの結婚は聖書が禁じる「兄弟の妻との婚姻」にあたるので無効とするヘンリの主張に、教皇クレメンス7世が承認を与えてくれることを期待していた。しかし、当時キャサリンの甥カール5世がローマを制圧していたため、教皇の承認は得られなかった。ウルジは失脚し、罪を問われる身となって、失意のうちに病死した。
ヘンリとキャサリンの間に娘メアリがいたが、王朝成立から半世紀、前例のない女王の誕生で国内が混乱するおそれがあった。ヘンリは1520年代になって、出産が難しい年齢になっていたキャサリンを諦め、男子誕生を若いアン・プーリンに期待するようになった。離婚問題を託されたのがトマス・ウルジ。ウルジは、キャサリンとの結婚は聖書が禁じる「兄弟の妻との婚姻」にあたるので無効とするヘンリの主張に、教皇クレメンス7世が承認を与えてくれることを期待していた。しかし、当時キャサリンの甥カール5世がローマを制圧していたため、教皇の承認は得られなかった。ウルジは失脚し、罪を問われる身となって、失意のうちに病死した。