
新女王フアナ 共同統治王フェリーペ1世
カトリック両王は対外関係に利するために、4人の娘をヨーロッパ諸国の宮廷に嫁がせた。しかし一人息子フアンが死去し、ポルトガルに嫁いだ長女イサベルも死去したため、カスティーリャとアラゴンの王位継承権は、神聖ローマ皇帝の息子フィリップと結婚した次女フアナにまわることになった。フアナには精神疾患があり、1504年、イサベルは死去に際しカスティーリャ女王になるフアナの摂政に夫フェルナンドを指名した。1505年フェルナンドはトロのコルテスで諸都市の支持を取り付け、貴族に有利な政策をおこなったが、有力貴族の「強権的王政」への反発は強かった。
1506年4月、新女王フアナをつれてフランドルから来たフィリップが共同統治王フェリーペ1世となった。しかし9月に急死し、フェルナンドが再び摂政になった。
1506年4月、新女王フアナをつれてフランドルから来たフィリップが共同統治王フェリーペ1世となった。しかし9月に急死し、フェルナンドが再び摂政になった。
フェルナンドはアラゴン連合王国をフアナに継承させないため、1509年フランス王の姪と結婚したが、子供はできなかった。1516年フェルナンドが死去し、カトリック両王の領土はすべて狂女王フアナが継承することになった。フアナには二人の息子がいて、長男カルロス(カール)はフランドルで育ち、次男フェルナンドはカスティーリャで育っていた。カスティーリャ貴族は次男に共感を抱いていたが、祖父フェルナンドはフアナの存命中の摂政に長男カルロスを指名していた。
1516年3月、カルロスは廷臣たちの進言を受けて、ブリュッセルの宮廷でカスティーリャとアラゴンの国王、「スペイン王国」の国王カルロス1世(在位1516〜56)となることを宣言した。
1500年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
1516年3月、カルロスは廷臣たちの進言を受けて、ブリュッセルの宮廷でカスティーリャとアラゴンの国王、「スペイン王国」の国王カルロス1世(在位1516〜56)となることを宣言した。
1500年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史