
フランス国王シャルル8世 イタリアに遠征
「イタリア同盟」による平和は、フランス王国、神聖ローマ帝国、アラゴン(スペイン)王国などの、近隣勢力が国内政治のために、イタリアに介入できなかったためだった。
1494年、フランス国王シャルル8世はイタリアに遠征し、95年2月、ナポリを占領した。フィレンツェではメディチ家が追放され、ナポリ国王はシチリアに逃げた。近隣の大国がイタリアでの覇権を争う「イタリア戦争」が始まった。
1495年3月、教皇アレクサンデル6世は、ヴェネツィア、ミラノ、スペイン、神聖ローマ帝国と反フランス同盟を結成した。7月、この同盟に敗れたシャルル8世は、11月イタリアから撤退した。
1490年代
1494年、フランス国王シャルル8世はイタリアに遠征し、95年2月、ナポリを占領した。フィレンツェではメディチ家が追放され、ナポリ国王はシチリアに逃げた。近隣の大国がイタリアでの覇権を争う「イタリア戦争」が始まった。
1495年3月、教皇アレクサンデル6世は、ヴェネツィア、ミラノ、スペイン、神聖ローマ帝国と反フランス同盟を結成した。7月、この同盟に敗れたシャルル8世は、11月イタリアから撤退した。
1490年代
シャルルを継いだフランス国王ルイ12世(在位1498〜1515)は1499年ミラノを占領した。以後ミラノをめぐるフランス国王、スフォルツァ家、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝による争奪戦の結果、1535年、ミラノ公国はハプスブルク家領に加えられた。
1504年、ルイ12世はスペイン国王との条約で、ナポリ王国のスペイン王家への帰属を承認し、ナポリ王国はスペインの属国になった。
フィレンツェは、メディチ家追放後の政権が不安定で、1513年にメディチ家出身の教皇レオ10世が即位すると、その前年にフィレンツェに戻っていたメディチ家の当主ロレンツォ2世(教皇の甥)は、教皇に従属した。
世界各国史15 イタリア史
1504年、ルイ12世はスペイン国王との条約で、ナポリ王国のスペイン王家への帰属を承認し、ナポリ王国はスペインの属国になった。
フィレンツェは、メディチ家追放後の政権が不安定で、1513年にメディチ家出身の教皇レオ10世が即位すると、その前年にフィレンツェに戻っていたメディチ家の当主ロレンツォ2世(教皇の甥)は、教皇に従属した。
世界各国史15 イタリア史