
シャルル8世
1494年10月、シャルル8世は3万人の兵を率いてアルプスを越えた。同時に大小100隻の海軍が、フランスの港から集結地のジェノヴァに向かっていた。フランス軍を前にしたイタリアの都市国家では、フィレンツェがメディチ家を追放し、サヴォナローラをシャルルのもとに派遣した。ローマの教皇アレクサンデル6世は、市門を開き、シャルルは85年2月にナポリを占領した。
ナポリではフランス軍の略奪やフランス人が「ナポリ病」と呼んだ梅毒の兵士への蔓延による退廃もあって、フランス軍への敵意が強まった。
教皇アレクサンデル6世、ヴェネツィア共和国、ミラノ大公スフォルツァ、神聖ローマ皇帝マクシミリアンらによって反フランス同盟が結成された。アラゴン王フェルナンドはシチリア王になっていて、ナポリ王国はシチリアの延長と考えていた。(両シチリア王国はシチリア王国とナポリ王国)
1490年代
世界各国史12 フランス史
ナポリではフランス軍の略奪やフランス人が「ナポリ病」と呼んだ梅毒の兵士への蔓延による退廃もあって、フランス軍への敵意が強まった。
教皇アレクサンデル6世、ヴェネツィア共和国、ミラノ大公スフォルツァ、神聖ローマ皇帝マクシミリアンらによって反フランス同盟が結成された。アラゴン王フェルナンドはシチリア王になっていて、ナポリ王国はシチリアの延長と考えていた。(両シチリア王国はシチリア王国とナポリ王国)
1490年代
世界各国史12 フランス史
シャルルがローマから伴っていた、オスマン帝国を逐われた王子ジェムが病死した。オスマン帝国への十字軍の名目を失った、シャルルはナポリ王国を放棄して、帰国するしかなくなった。(スルタンの後継者は最初に即位した王子で、ほかの王子たちは混乱を防ぐために殺された。ジェムは国外に逃れていた)
政治的な利益は得られなかった遠征だったが、多くの美術工芸品がナポリからリヨンを経てアンボワーズに運ばれた。シャルルは遠征に出る前に、イタリアからの戦利品を城の調度品とする準備をしていたらしい。またナポリにあったギリシア語、ヘブライ語、ラテン語、イタリア語、フランス語で書かれたアラゴン王の蔵書1140冊も運ばれ、作庭師や建築家も伴って、ナポリの宮殿をアンボワーズに再現しようとした。
1498年シャルル8世はアンボワーズの城で事故死した。フランス王国はブルボン公領を除いて、国王の統治に服していた。軍隊は一新され、財政制度は整備され、専門知識を持った官僚が統治の要となっていた。
政治的な利益は得られなかった遠征だったが、多くの美術工芸品がナポリからリヨンを経てアンボワーズに運ばれた。シャルルは遠征に出る前に、イタリアからの戦利品を城の調度品とする準備をしていたらしい。またナポリにあったギリシア語、ヘブライ語、ラテン語、イタリア語、フランス語で書かれたアラゴン王の蔵書1140冊も運ばれ、作庭師や建築家も伴って、ナポリの宮殿をアンボワーズに再現しようとした。
1498年シャルル8世はアンボワーズの城で事故死した。フランス王国はブルボン公領を除いて、国王の統治に服していた。軍隊は一新され、財政制度は整備され、専門知識を持った官僚が統治の要となっていた。