
フィリップ 直接統治
1493年皇帝フリードリヒが死去、マクシミリアンが皇帝位についた。
1494年9月、16才のフィリップ端麗公が直接統治を開始した。フィリップは生粋のネーデルラント人の公として全州で歓迎された。
1495年11月マクシミリアンとカスティリャ・アラゴン王フェルナンドとの間で、端麗公とカスティリャ王女ファナ、端麗公の妹マルグリートとファナの弟ドン・ファンとの結婚が決められ、96年アントウェルペンで結婚式が挙げられた。 この結婚は若い公を対フランス同盟へ引き込むとともに、低地地方に新たな展開をもたらすことになる。
フィリップ端麗公は1477年の大特権を承認せず、廃止されていたメヘレンの高等法院を大評議院として1504年に復活させ、会計院をリル、ブリュッセル、ハーグに再建した。しかし治世はシャルル突進公の時代に戻ったわけではなく、公の権利と州の権利の調和を図り、地方自立主義と中央集権の調整に努めた。課税には全国議会の承認を求め、徴税を抑える努力をし、外交政策については全国議会を召集した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1490年代
1494年9月、16才のフィリップ端麗公が直接統治を開始した。フィリップは生粋のネーデルラント人の公として全州で歓迎された。
1495年11月マクシミリアンとカスティリャ・アラゴン王フェルナンドとの間で、端麗公とカスティリャ王女ファナ、端麗公の妹マルグリートとファナの弟ドン・ファンとの結婚が決められ、96年アントウェルペンで結婚式が挙げられた。 この結婚は若い公を対フランス同盟へ引き込むとともに、低地地方に新たな展開をもたらすことになる。
フィリップ端麗公は1477年の大特権を承認せず、廃止されていたメヘレンの高等法院を大評議院として1504年に復活させ、会計院をリル、ブリュッセル、ハーグに再建した。しかし治世はシャルル突進公の時代に戻ったわけではなく、公の権利と州の権利の調和を図り、地方自立主義と中央集権の調整に努めた。課税には全国議会の承認を求め、徴税を抑える努力をし、外交政策については全国議会を召集した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1490年代