
コロンブス サン・サルバドール島 ネブリーハ カスティーリャ語文法
ユダヤ教徒の退去期限の後、パロスを出港したコロンブスが、10月12日バハマ諸島のサン・サルバドール島に着いた。彼はアジアの一部に着いたと思っていたが、インディアス、新世界だった。コロンブスと彼を支援したカトリック両王は、金の発見という目的と同時に、新たな地にキリスト教を伝えるという宗教的使命感を持っていた。
しかし、発見、征服、植民の100年間に、先住民の人口の7割が減少してしまった。虐待や酷使、なにより疫病がヨーロッパから伝えられたからだった。スペインは1494年のトルデシーリャス条約でポルトガルと世界を二分することになる。
1490年代
しかし、発見、征服、植民の100年間に、先住民の人口の7割が減少してしまった。虐待や酷使、なにより疫病がヨーロッパから伝えられたからだった。スペインは1494年のトルデシーリャス条約でポルトガルと世界を二分することになる。
1490年代
この年、人文主義者のネブリーハが「カスティーリャ語文法」を著して、女王イサベルに献本した。イサベルは「何に役立つのか?」と尋ねたらしいが、スペイン王国のなかでカスティーリャ語(スペイン語)が支配的言語になっていく。同書の「言語は帝国の朋友である」という言葉通りにスペイン帝国に浸透していった。
ネブリーハはフェルナンド王の紋章「くびき」のモットー「タント・モンタ」をつくったことでも知られている。「(結び目を)ほどくも断つも同じである」という意味で、コルディアスの故事になぞらえて、フェルナンドの英断を称えたものとされる。「(イサベルとフェルナンドは)同権である」とする説は間違いらしい。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
ネブリーハはフェルナンド王の紋章「くびき」のモットー「タント・モンタ」をつくったことでも知られている。「(結び目を)ほどくも断つも同じである」という意味で、コルディアスの故事になぞらえて、フェルナンドの英断を称えたものとされる。「(イサベルとフェルナンドは)同権である」とする説は間違いらしい。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史