
カトリック両王 グラナダ入城 ユダヤ教徒にカトリックへの改宗令
1492年1月2日、カトリック両王はグラナダに入城し、レコンキスタは終わった。しかし降伏協定は寛大で、イスラム教徒には信仰の自由や独自の習慣の維持が保証されていた。
3月31日、4ヵ月の猶予をもってユダヤ教徒にキリスト教への改宗か国外退去を迫る王令が発せられた。「隠れてユダヤ教を信奉する邪なキリスト教徒」が存在するのはユダヤ教徒の悪影響があるためだ、というのが理由で、一般に「ユダヤ人追放」とされているのは正確ではないらしい。カトリック両王は真摯なキリスト教への改宗者を厚く遇し、このときの改宗者もおおむね歓迎されていた。退去者は10万人を越えないとされ、ユダヤ教徒の有力者は14世紀末には改宗していた。
3月31日、4ヵ月の猶予をもってユダヤ教徒にキリスト教への改宗か国外退去を迫る王令が発せられた。「隠れてユダヤ教を信奉する邪なキリスト教徒」が存在するのはユダヤ教徒の悪影響があるためだ、というのが理由で、一般に「ユダヤ人追放」とされているのは正確ではないらしい。カトリック両王は真摯なキリスト教への改宗者を厚く遇し、このときの改宗者もおおむね歓迎されていた。退去者は10万人を越えないとされ、ユダヤ教徒の有力者は14世紀末には改宗していた。
しかし、このユダヤ教徒に対する王令を機に、異教徒の存在を許さないという風潮が強まった。1502年にカスティーリャ王国のイスラム教徒に改宗勅令が公布され、26年にはアラゴン連合王国に拡大された。カトリック王国という言葉が、スペイン王国と同義語として使われるようになり、異端審問制によって宗教的国家統合が図られるようになった。
キリスト教共同体に同化しないコンベルソ、モリスコ(イスラムからの改宗者)も多く存在し、少数者と多数者の摩擦や軋轢はカトリック両王の後になっても続いていく。
1490年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
キリスト教共同体に同化しないコンベルソ、モリスコ(イスラムからの改宗者)も多く存在し、少数者と多数者の摩擦や軋轢はカトリック両王の後になっても続いていく。
1490年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史