
グアダルーペの裁定
カトリック両王は宗教的統合とともに、王権強化と統治機構の整備をはかった。アラゴン連合王国では、構成するアラゴン、カタルーニャ、バレンシア諸国でそれぞれに王権を制約する統治契約主義の伝統が強かった。そのため経済的に中世後期の危機を脱することができず、人口はカスティーリャの5分の1、面積は4分の1だった。
カスティーリャ支配に力を注いだ王権は、異端審問制の導入を除いて集権化を急がなかった。各国に副王を任命し、1494年に設置したアラゴン顧問会議を通じて統治した。
カスティーリャ支配に力を注いだ王権は、異端審問制の導入を除いて集権化を急がなかった。各国に副王を任命し、1494年に設置したアラゴン顧問会議を通じて統治した。
カタルーニャについては1486年、フェルナンドはグアダルーペの裁定を発して、レメンサ農民反乱の農民と領主の妥協的解決をはかることができた。また都市参事官選出に「くじ引き制度」を導入するなど、都市統治機構の改編を進めて、都市諸階層の政治的対立を和らげた。
1480年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
1480年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史