
ヘンリ7世 テューダー朝
1485年8月、ボズワースでヘンリ・テューダーがリチャード3世を破った。戦いの前に自ら国王を宣言していたともされるが、自らの王位の根拠に「神の意志による勝利」を強調したように、血統的にはより優位な王位継承権を主張できる者がいた。力で勝ち取った王位の正統性を確立し、王朝を存続させることが課題となった。
ボズワースの戦いの二ヵ月後、ヘンリは戴冠式をおこない、議会に自らの王位を承認させた。ヘンリ7世(在位1485〜1509)。しかしヨーク朝復活を図る多くの反乱が起きた。1486年のリチャード3世の家臣フランシス・ラヴェルの反乱はすぐに鎮圧された。1487年のランバート・シムネルによるアイルランド侵入は、背後にヘンリの王位を認めないブルゴーニュ公妃マーガレット(エドワード4世の妹)やリチャード3世の後継者とされていたエドワード4世の甥リンカン伯がいて、深刻な危機になった。アイルランド貴族の支援を得たシムネルはイングランドに侵入したが、ヘンリの軍に敗れた。この戦いでヨーク派支持者の多くが戦死して、事実上のバラ戦争終結となった。
1480年代
世界各国史11 イギリス史
ボズワースの戦いの二ヵ月後、ヘンリは戴冠式をおこない、議会に自らの王位を承認させた。ヘンリ7世(在位1485〜1509)。しかしヨーク朝復活を図る多くの反乱が起きた。1486年のリチャード3世の家臣フランシス・ラヴェルの反乱はすぐに鎮圧された。1487年のランバート・シムネルによるアイルランド侵入は、背後にヘンリの王位を認めないブルゴーニュ公妃マーガレット(エドワード4世の妹)やリチャード3世の後継者とされていたエドワード4世の甥リンカン伯がいて、深刻な危機になった。アイルランド貴族の支援を得たシムネルはイングランドに侵入したが、ヘンリの軍に敗れた。この戦いでヨーク派支持者の多くが戦死して、事実上のバラ戦争終結となった。
1480年代
世界各国史11 イギリス史
その後もパーキン・ウォーベックの一連の反乱(1491〜99)などがあったが、16世紀に入ると反乱も少なくなった。反乱を鎮圧していく内に、ヨーク家に連なる王位継承権者や有力諸侯が排除され、王権が確立されていった。
テューダー家はウェールズを基板とする家系だったが、その由緒には曖昧な点も多かった。母方のランカスタ家につながる血筋が重要だった。即位後エドワード4世の娘エリザベスと結婚して、ランカスタ家とヨーク家の紅白のバラを組み合わせた紋章をつくり、両家の合同を強調した。
テューダー家はウェールズを基板とする家系だったが、その由緒には曖昧な点も多かった。母方のランカスタ家につながる血筋が重要だった。即位後エドワード4世の娘エリザベスと結婚して、ランカスタ家とヨーク家の紅白のバラを組み合わせた紋章をつくり、両家の合同を強調した。
