
アラゴン王フェルナンド2世即位
1474年にイサベルがカスティーリャ女王(在位1474〜1504)に、1479年にフェルナンドがアラゴン国王(在位1479〜1516)に即位した。1492年にグラナダを攻略、1512年にはナバーラ王国を併合して、王権の権威を高めて「強権的王政」を実現した。1496年には教皇からカトリック両王という称号を授けられ、スペイン王国を成立させたともされる。
しかし、カスティーリャ王国とアラゴン連合王国はそれぞれ別の法、統治制度、議会、貨幣、租税、軍制を維持し、両王は正式な肩書きをカスティーリャ王、アラゴン王、バルセロナ伯とそれぞれの王のままにとどめた。
しかし、カスティーリャ王国とアラゴン連合王国はそれぞれ別の法、統治制度、議会、貨幣、租税、軍制を維持し、両王は正式な肩書きをカスティーリャ王、アラゴン王、バルセロナ伯とそれぞれの王のままにとどめた。
マキアヴェッリのことばで「複合型の君主国」。「法律や税制に手をつけぬ」まま一つの王権が諸王国に君臨する「複合王政」だったが、カトリック両王は「言語も風習も制度も異なる」諸地域の統合手段として宗教的一体性を重視した。
キリスト教君主としての国王教会保護権に基づく、王国の高位聖職者推挙権によって司教たちを王権に従属させた。また三大宗教騎士団をその管轄下に組み入れ、シスネーロス枢機卿たちに修道院改革を進めさせた。
1470年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
キリスト教君主としての国王教会保護権に基づく、王国の高位聖職者推挙権によって司教たちを王権に従属させた。また三大宗教騎士団をその管轄下に組み入れ、シスネーロス枢機卿たちに修道院改革を進めさせた。
1470年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史