
教皇 異端審問所の設立許可
カトリック両王はキリスト教共同体内の「異端」には厳しい態度をとった。15世紀後半にはコンベルソ(ユダヤ教からの改宗者)への反発から暴動が発生していた。両王はこれが政治的不安定につながることを防ぐために、改宗を装った隠れユダヤ教徒の取り締まりを目的に異端審問制を始めた。
1478年に教皇から設立許可を得て、1480年のセビーリャからカスティーリャ王国各地に異端審問所を設置した。教皇権という権威を支えにして、カタルーニャなどの反対を押し切ってアラゴン連合王国にもこの制度を導入した。
1478年に教皇から設立許可を得て、1480年のセビーリャからカスティーリャ王国各地に異端審問所を設置した。教皇権という権威を支えにして、カタルーニャなどの反対を押し切ってアラゴン連合王国にもこの制度を導入した。
この異端審問制は、中世の教会に審問権が委ねられた制度とは違って、王権主導のもとで「あらゆる諸国特権から独立した」全国的制度で、時には王権の有効な社会・政治統制の道具となった。
初期の取締りの対象になったのは、大半が隠れユダヤ教徒だった。1530年までにバレンシア管区審問所で2354人が処罰されていて、うち91%が隠れユダヤ教徒の罪状で裁かれ、40%が死刑に処された。なかには「学問論」などで高名な人文主義者フアン・ルイス・ビーベスの家族も含まれていた。
1470年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
初期の取締りの対象になったのは、大半が隠れユダヤ教徒だった。1530年までにバレンシア管区審問所で2354人が処罰されていて、うち91%が隠れユダヤ教徒の罪状で裁かれ、40%が死刑に処された。なかには「学問論」などで高名な人文主義者フアン・ルイス・ビーベスの家族も含まれていた。
1470年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史