
テュークスベリの戦い エドワード4世復位
エドワード4世は、1464年ジョン・グレイ卿の未亡人エリザベス・ウッドヴィルと秘密結婚し、9月にそれが公表された。ヨーク派貴族は身分の低い家系との縁組みを嫌い、フランスで王妃にふさわしい縁談を探していたウォリック伯を落胆させた。
王は王妃の父をリヴァズ伯とし、侍従武官長(コンスタブル)に任じた。ほかにもウッドヴィル家、グレイ家の親族に称号や領地を与えた。新興の郷紳の家系にも俸禄を配分したため、貴族諸侯への配分が少なくなった。
1465年ランカスタ派諸侯の家系を頼って放浪していたヘンリ6世が捕らえられ、7月フランスから戻ったウォリック伯はヘンリをロンドン塔に収監した。
その頃フランスではルイ11世の親族ベリ、ブルターニュ、ブルボンの各公とマーガレットの父アンジュー公や兄カラブリア侯たちが公益同盟を結成してルイ11世と対抗していた。
エドワード4世はマーガレットと対抗するためにはルイ11世側につくべきだったが、ブルゴーニュ公との親和関係を維持する必要もあった。交渉役を命じられたウォリック伯はルイ11世との関係維持を進めようとしていたが、エドワードは1466年10月ブルゴーニュ派と秘密協定を結んだ。1467年5月、ルイはエドワードに、ブルゴーニュ公領のフランドルを切り離して秘密協定を破棄するように提案したが、エドワードは協定を更新し、さらにブルゴーニュ公との関係を深めた。
王は王妃の父をリヴァズ伯とし、侍従武官長(コンスタブル)に任じた。ほかにもウッドヴィル家、グレイ家の親族に称号や領地を与えた。新興の郷紳の家系にも俸禄を配分したため、貴族諸侯への配分が少なくなった。
1465年ランカスタ派諸侯の家系を頼って放浪していたヘンリ6世が捕らえられ、7月フランスから戻ったウォリック伯はヘンリをロンドン塔に収監した。
その頃フランスではルイ11世の親族ベリ、ブルターニュ、ブルボンの各公とマーガレットの父アンジュー公や兄カラブリア侯たちが公益同盟を結成してルイ11世と対抗していた。
エドワード4世はマーガレットと対抗するためにはルイ11世側につくべきだったが、ブルゴーニュ公との親和関係を維持する必要もあった。交渉役を命じられたウォリック伯はルイ11世との関係維持を進めようとしていたが、エドワードは1466年10月ブルゴーニュ派と秘密協定を結んだ。1467年5月、ルイはエドワードに、ブルゴーニュ公領のフランドルを切り離して秘密協定を破棄するように提案したが、エドワードは協定を更新し、さらにブルゴーニュ公との関係を深めた。
王に裏切られたウォリック伯は、自らの領地半分の相続権を持つ娘イザベルとの結婚を、王の弟クラレンス公にもちかけた。王はネヴィル家の外戚化を恐れて反対した。
1469年7月、カレーでクラレンス公とウォリック伯の娘との結婚がおこなわれた。ウォリック伯は公然と王の側近を批判しはじめ、26日エッジコットで王軍を破り、王を捕らえた。しかし直後にダラムでランカスタ派の反乱が起き、鎮める自信がなかった伯は王を釈放して鎮圧させた。その後の反乱も王が抑えたので、1470年3月、伯はクラレンス公とともにフランスに亡命した。
フランス王の勧めでヘンリ6世妃マーガレットと和解したウォリック伯は、1470年9月プリマスに上陸した。急を突かれたエドワードはブルゴーニュ公を頼ってネーデルラントへ逃れた。伯はヘンリをロンドン塔から連れ出し、10月ヘンリ6世は復位した。
1471年3月、ブルターニュ公の支援を受けたエドワードがヨークシァに上陸した。クラレンス公もエドワードに帰順し、パーシィ家もついて、圧倒的戦力でロンドンに戻り復位した。ヘンリ6世は逮捕され、西部に上陸したマーガレットはテュークスベリの戦いで敗れ、王子も死んだ。5月にはヘンリ6世も殺されて、ランカスタ家で残るのは初代サマセット公の娘とリッチモンド伯の間に生まれた14歳で亡命していたヘンリだけになった。
エドワードは1483年、41歳になる前に死去した。
1470年代
世界各国史11 イギリス史
1469年7月、カレーでクラレンス公とウォリック伯の娘との結婚がおこなわれた。ウォリック伯は公然と王の側近を批判しはじめ、26日エッジコットで王軍を破り、王を捕らえた。しかし直後にダラムでランカスタ派の反乱が起き、鎮める自信がなかった伯は王を釈放して鎮圧させた。その後の反乱も王が抑えたので、1470年3月、伯はクラレンス公とともにフランスに亡命した。
フランス王の勧めでヘンリ6世妃マーガレットと和解したウォリック伯は、1470年9月プリマスに上陸した。急を突かれたエドワードはブルゴーニュ公を頼ってネーデルラントへ逃れた。伯はヘンリをロンドン塔から連れ出し、10月ヘンリ6世は復位した。
1471年3月、ブルターニュ公の支援を受けたエドワードがヨークシァに上陸した。クラレンス公もエドワードに帰順し、パーシィ家もついて、圧倒的戦力でロンドンに戻り復位した。ヘンリ6世は逮捕され、西部に上陸したマーガレットはテュークスベリの戦いで敗れ、王子も死んだ。5月にはヘンリ6世も殺されて、ランカスタ家で残るのは初代サマセット公の娘とリッチモンド伯の間に生まれた14歳で亡命していたヘンリだけになった。
エドワードは1483年、41歳になる前に死去した。
1470年代
世界各国史11 イギリス史