
クリスチャン1世 連合王に即位
1448年、連合王クリストファが嗣子を残さず急死した。デンマークとノルウェーはホルシュタインのオルデンブルク伯クリスチャンを連合王として選出し、スウェーデンはカール・クヌートソンを連合王とした。しかしスウェーデン国内でカールが中央主権的傾向が強いとして特権貴族に追われ、クリスチャンが単一の連合王(オレンボー朝 クリスチャン1世)になった。
1440年代
世界各国史21 北欧史
1440年代
世界各国史21 北欧史
スウェーデンではハンザ同盟と組んだ貿易商人、鉱山業者、特権貴族など、有力門閥が離合集散して政局が不安定になった。1471年、反連合派の大ステーン・ステューレはブルンケバリの戦いでクリスチャン1世軍に大勝して大きな権力を得た。スウェーデン「王国統治者」という地位を獲得(1471〜1503年)して、ステューレ家の支配は1520年まで続いた。
王国統治者とは、王がコペンハーゲンに滞在中のスウェーデンにおける王の代理人。「連合」の中央集権的傾向に反対するために王国統治者が成立したが、デンマーク王の支配から自立するには中央集権体制へ移行する必要があった。
王国統治者とは、王がコペンハーゲンに滞在中のスウェーデンにおける王の代理人。「連合」の中央集権的傾向に反対するために王国統治者が成立したが、デンマーク王の支配から自立するには中央集権体制へ移行する必要があった。