
アルフォンソ5世 ナポリを征服
1421年、シチリアに滞在していたアラゴン国王アルフォンソ5世は、ナポリ女王ジョヴァンナ2世から援助を求められてナポリを訪れ、ナポリ王位継承者に与えられるカラーブリア公位を得た。しかしその後、女王の後継者指名は再三変更された。1435年、ジョヴァンナの死後、ナポリ王位を得ようとしたが、アラゴンの勢力拡大を警戒する諸国の反対で実現しなかった。同じ1435年、アルフォンソはポンツァの海戦で敗れ、ミラノ公の捕虜になった。ヴェネツィア、フィレンツェと対立していたミラノ公は、アルフォンソと相互支援の密約を結び(42年更新)、アルフォンソを釈放した。
1440年代
世界各国史15 イタリア史
1440年代
世界各国史15 イタリア史
1442年、アルフォンソは奇襲でナポリを征服し国王に即位した。翌年教皇によってこれが承認され、ナポリ王国は同君国家連合に編入された。宮廷が置かれたナポリは連合体の政治的中心となった。アルフォンソはメッシーナ海峡を挟むこちら側のシチリア王国(ナポリ王国)とあちら側のシチリア王国とを同時に支配したため「両シチリアの王」と名乗った。
アルフォンソはナポリ王国の貴族の支持を得るために、さまざまな特権を授与し、既得権をそのまま承認したため、貴族の勢力が拡大し、「小王」と呼ばれる貴族も現れた(実態はほとんど不明)。
1458年アルフォンソの死後、弟フアン2世が同君国家連合を継承したが、ナポリ王国は庶子フェルディナンド1世が相続したため、再度独立王国になった。
アルフォンソはナポリ王国の貴族の支持を得るために、さまざまな特権を授与し、既得権をそのまま承認したため、貴族の勢力が拡大し、「小王」と呼ばれる貴族も現れた(実態はほとんど不明)。
1458年アルフォンソの死後、弟フアン2世が同君国家連合を継承したが、ナポリ王国は庶子フェルディナンド1世が相続したため、再度独立王国になった。