
ジャンヌ・ダルク オルレアンを解放
1428年からベドフォード公のフランス軍によるオルレアン包囲が始まった。しかし翌年、フランス側にジャンヌ・ダルクがあらわれ、王太子軍を率いて4月にはオルレアンを解放した。以後イングランド軍の敗戦が続き、王太子はランスで戴冠してフランス王シャルル7世になった。ヘンリ6世もイングランドで戴冠式をおこない、護国卿職が廃止された。1431年、ベドフォード公はヘンリのフランス王としての戴冠をパリのノートル・ダムでおこなったが、パリ市民の反イングランド意識は強まり、敗戦が続いたことで議会からの資金供与もなくなって、ヘンリのフランス王位は名目的なものにとどまった。国王への政治的影響力を失ったグロスタ公が自暴自棄の行動をとったため、1433年ベドフォード公は帰国した。
この間にブルゴーニュ公のイングランドへの信頼が薄れ、1435年のアラスでの和平会談ののち、公はシャルル7世側に近づき、イングランドとの提携を破棄した。9月ベドフォード公はルーアンで死去し、翌年パリが陥落した。
1420年代
世界各国史11 イギリス史
この間にブルゴーニュ公のイングランドへの信頼が薄れ、1435年のアラスでの和平会談ののち、公はシャルル7世側に近づき、イングランドとの提携を破棄した。9月ベドフォード公はルーアンで死去し、翌年パリが陥落した。
1420年代
世界各国史11 イギリス史
