
ナバーラ王フアン1世
1305年フランス王がナバーラ王を兼ねるカペー朝が始まったが、要職をフランス人貴族が独占したため、1328年ナバーラのコルテスは、エヴルー伯女フアナ2世をナバーラ王に選出した。エヴルー伯家はセーヌ川沿いに多数の所領があり百年戦争の動向も気になっていた。
フアナ2世を継いだカルロス2世(在位1349〜87)のもとで、百年戦争やトラスタマラ朝の内乱に関わっていく。トラスタマラ朝の内乱ではカスティーリャ王ペドロ1世、イングランドと結びながら、エンリケ・デ・トラスタマラやフランスとも秘密交渉を重ね、所領確保をめざしていた。軍事・経済的に弱体なナバーラ王権にとって、イングランドとの同盟を基本にフランスとも秘密交渉を重ねる必要があった。エンリケの即位とともに、ナバーラの戦略は破綻し、カスティーリャ軍とフランス軍の侵攻を招くことになった。カルロス2世は、多数の城塞をカスティーリャに割譲し、フランス領内のすべての所領を失った。
1420年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
フアナ2世を継いだカルロス2世(在位1349〜87)のもとで、百年戦争やトラスタマラ朝の内乱に関わっていく。トラスタマラ朝の内乱ではカスティーリャ王ペドロ1世、イングランドと結びながら、エンリケ・デ・トラスタマラやフランスとも秘密交渉を重ね、所領確保をめざしていた。軍事・経済的に弱体なナバーラ王権にとって、イングランドとの同盟を基本にフランスとも秘密交渉を重ねる必要があった。エンリケの即位とともに、ナバーラの戦略は破綻し、カスティーリャ軍とフランス軍の侵攻を招くことになった。カルロス2世は、多数の城塞をカスティーリャに割譲し、フランス領内のすべての所領を失った。
1420年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
次のカルロス3世はカスティーリャやフランスとの関係修復につとめたが、同王の息女でシチリア王マルティンの寡婦ブランカが、1425年、アラゴン王フェルナンド1世の次子フアンと再婚してナバーラを共同統治した。これはトラスタマラ家がナバーラを支配したことを示している。ブランカの没後、フアン1世がフアナ・エンリケスと再婚したことで、王位継承を求めるビアナ公カルロスとの対立が表面化、フアン1世はカルロスを廃嫡した。
カルロスはカスティーリャ王やナバーラの有力貴族に支えられて、フアン1世との対決姿勢を強めた。1458年フアン1世が、アラゴン王フアン2世として即位すると、カルロスの王位継承問題はカタルーニャの内乱、ナバーラ国内の有力貴族間の抗争とも連動するようになった。ビガに支持されたカルロスの突然の死(毒殺ともされる)は、カタルーニャ内乱の直接的契機となった。
1479年、アラゴン王を兼ねたフアン1世が死去すると、同王の娘レオノールが夫フォア伯ガストンとともにナバーラを共同統治した。1512年、ピレネー南部のナバーラ王国はフェルナンド2世によってカスティーリャ王国に併合された。
カルロスはカスティーリャ王やナバーラの有力貴族に支えられて、フアン1世との対決姿勢を強めた。1458年フアン1世が、アラゴン王フアン2世として即位すると、カルロスの王位継承問題はカタルーニャの内乱、ナバーラ国内の有力貴族間の抗争とも連動するようになった。ビガに支持されたカルロスの突然の死(毒殺ともされる)は、カタルーニャ内乱の直接的契機となった。
1479年、アラゴン王を兼ねたフアン1世が死去すると、同王の娘レオノールが夫フォア伯ガストンとともにナバーラを共同統治した。1512年、ピレネー南部のナバーラ王国はフェルナンド2世によってカスティーリャ王国に併合された。