
幼英王ヘンリ6世 フランス王位にも就く
1422年、幼いヘンリ6世(1421年12月生まれ、在位1422〜61、1470〜71)がヘンリ5世を継いだ。
スコットランドでは、摂政アルバニ公が死去し、イングランドで捕虜になっていた王ジェイムズの帰国を望んでいた。1423年のロンドン条約に基づき、身代金を支払ってジェイムズはスコットランドに戻ることになり、彼は対イングランド友好の立場をとった。
北からの脅威はなかったが、対フランス関係はヘンリ5世が獲得した領土が広く、その処理に手間取った。戦いを続けて領土を守るか、戦争費用を抑えるために和平を結ぶか、という問題になった。
1422年、フランス王シャルル6世が死去し、トロワ条約によってヘンリ6世がフランス王位にも就いた。王太子シャルルはロワール川以南を支配していた。
スコットランドでは、摂政アルバニ公が死去し、イングランドで捕虜になっていた王ジェイムズの帰国を望んでいた。1423年のロンドン条約に基づき、身代金を支払ってジェイムズはスコットランドに戻ることになり、彼は対イングランド友好の立場をとった。
北からの脅威はなかったが、対フランス関係はヘンリ5世が獲得した領土が広く、その処理に手間取った。戦いを続けて領土を守るか、戦争費用を抑えるために和平を結ぶか、という問題になった。
1422年、フランス王シャルル6世が死去し、トロワ条約によってヘンリ6世がフランス王位にも就いた。王太子シャルルはロワール川以南を支配していた。
イングランドでは幼い王を脅かす勢力がなかったため、摂政はおかれず、先王の遺言に基づいてグロスタ公ハンフリが評議会の助言を受けて、護国卿として統治することになった。対フランス戦の指揮を執ったのはグロスタ公の兄ベドフォード公ジョン。彼はブルゴーニュ公フィリップの娘と結婚し、ピカルディ・シャンパーニュ一帯を支配した。しかしイングランドでは、グロスタ公がベドフォード公の不在中に評議会の実権を握ろうとして、ウィンチェスタ司教と対立した。1426年にベドフォード公が一時帰国したが、1428年になっても両者の主導権争いは続いた。
1420年代
世界各国史11 イギリス史
1420年代
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