
フィリップ善良公
フィリップ善良公(在位1419〜67)の長い治世の間に低地地方の統一が進められ、ホイジンガの「中世の秋」の世界が展開された。
1420年、フランスとイギリスの間でフランス王位継承者についてトロワの和約が成立し、シャンベリー協定で王太子によってブルゴーニュ公領の不可侵が保証された。
善良公はフランスを離れ、ホラントを中心とする低地地方北部を統一することにした。1429年ナミュール伯領を買収、ホラントのウィレム6世の死後、後継者ヤコバと叔父の対立、後継者ヤコバとその夫のいとこという血縁を利用して1428年、デルフトの和平でエノー、ホラント、ゼーラントの3伯領とフリースラントの支配権をヤコバに認めさせ、33年に一切の権限を放棄させた。
1430年にはブラーバンド、リンブルフの2公領、1441〜43年にはルクセンブルク公領を取得、リエージュ司教領を除く低地地方をまとめた。1435年のイギリス、フランス、ブルゴーニュで結ばれたアラスの和平でピカルディとブローニュも併合した。偶然の重なりによって領土が拡大、ブルゴーニュ国家の枠組みができあがった。
善良公はフランドルの諸都市の地方自立主義を制度的に吸収しながら中央集権的機構確立していった。旧領邦では公が任命した州総督をおいて州裁判所を設置、公の権限を代行させた。中央には大評議院をおいて行政全般を統括、豪胆公によって設置された評議院の機能を分けて中央行政の核とした。
各領邦は14世紀半ばには身分制議会を持っていた。公はそれを存続させ、課税賛否権と請願権を与えた。1429年ポルトガルのイザベラとの結婚の際に、上層貴族層による金羊毛騎士団を設立、特権や職を与え、公への忠誠を誓うエリート集団を創設した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1410年代
1420年、フランスとイギリスの間でフランス王位継承者についてトロワの和約が成立し、シャンベリー協定で王太子によってブルゴーニュ公領の不可侵が保証された。
善良公はフランスを離れ、ホラントを中心とする低地地方北部を統一することにした。1429年ナミュール伯領を買収、ホラントのウィレム6世の死後、後継者ヤコバと叔父の対立、後継者ヤコバとその夫のいとこという血縁を利用して1428年、デルフトの和平でエノー、ホラント、ゼーラントの3伯領とフリースラントの支配権をヤコバに認めさせ、33年に一切の権限を放棄させた。
1430年にはブラーバンド、リンブルフの2公領、1441〜43年にはルクセンブルク公領を取得、リエージュ司教領を除く低地地方をまとめた。1435年のイギリス、フランス、ブルゴーニュで結ばれたアラスの和平でピカルディとブローニュも併合した。偶然の重なりによって領土が拡大、ブルゴーニュ国家の枠組みができあがった。
善良公はフランドルの諸都市の地方自立主義を制度的に吸収しながら中央集権的機構確立していった。旧領邦では公が任命した州総督をおいて州裁判所を設置、公の権限を代行させた。中央には大評議院をおいて行政全般を統括、豪胆公によって設置された評議院の機能を分けて中央行政の核とした。
各領邦は14世紀半ばには身分制議会を持っていた。公はそれを存続させ、課税賛否権と請願権を与えた。1429年ポルトガルのイザベラとの結婚の際に、上層貴族層による金羊毛騎士団を設立、特権や職を与え、公への忠誠を誓うエリート集団を創設した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1410年代
