
ヘンリ5世 ノルマンディに上陸 アザンクールの戦い
1413年、パリでブルゴーニュ公支持派が反乱を起こしたが、その後アルマニャック派が反撃しブルゴーニュ公が退去させられた。ヘンリ5世はブルゴーニュ派支援のためのフランス侵入を計画し、1415年の大評議会で承認された。
1415年9・10月、ル・アーヴルに上陸したヘンリは勝利を続け、10月アザンクールの戦いでオルレアン公を捕虜にして、11月に帰国した。議会は王に特別援助金を与えた。
ヘンリは弟ベドフォード公をフランスでの戦いにあたらせ、来英した神聖ローマ皇帝ジギスムントと会談、教皇庁分裂後の対仏政策を話し合った。
1417年、フランスではアルマニャック派が14歳の王太子シャルルを確保してパリを支配していた。ヘンリはブルゴーニュ公支援のため再度フランスへ渡り、ノルマンディを支配下においた。
1410年代
1415年9・10月、ル・アーヴルに上陸したヘンリは勝利を続け、10月アザンクールの戦いでオルレアン公を捕虜にして、11月に帰国した。議会は王に特別援助金を与えた。
ヘンリは弟ベドフォード公をフランスでの戦いにあたらせ、来英した神聖ローマ皇帝ジギスムントと会談、教皇庁分裂後の対仏政策を話し合った。
1417年、フランスではアルマニャック派が14歳の王太子シャルルを確保してパリを支配していた。ヘンリはブルゴーニュ公支援のため再度フランスへ渡り、ノルマンディを支配下においた。
1410年代
1419年夏、イングランド軍はパリ市壁に迫り、1420年5月、ヘンリに有利な状況でトロワの和約が結ばれた。ヘンリはフランス王シャルル6世の国王代理としての権限を得、王の娘カトリーヌと結婚し、それまでに獲得していた領土を承認された。1421年、王弟クラレンス公トマスが戦死したため、ヘンリはイングランド軍救援のためフランスへ向かったが、病気になり翌年、パリ近郊で死亡した(35歳)。

世界各国史11 イギリス史

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