
ポルトガル セウタ攻略
ヨーロッパでは13〜14世紀、航海術や造船術は急速に進歩していた。羅針盤やポルトラーノ海図が地中海で実用化され、北欧の船尾材舵と三角帆を備えた帆船がカンタブリア沿岸で造られていた。技術的に先行していたのはカタルーニャ人やイタリア人で、ポルトガル人は彼らから知識や技術を採り入れていた。ポルトガル独自のカラヴェラ船や天文航法がみられるのは、15世紀後半以降だった。
ペスト大流行後1世紀のあいだに、国家収入は半減し、貨幣価値の下落は地代収入に頼る貴族を苦しめていた。貴金属とくに金の不足が深刻だった。イスラム商人との通商でサハラ越えのキャラバン・ルートが金をもたらすことは知られていて、モロッコは土地が肥沃で、サトウキビの産地でもあった。
ヨーロッパの最西端のポルトガルは、新生アヴィス朝による政治的再編成、レコンキスタの聖戦意識や1411年のカスティーリャとの和約などがあって対外進出を選んだらしい。
1410年代 ヨーロッパ史年表
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
地図 ワイドアトラス 世界地図帳 平凡社
ペスト大流行後1世紀のあいだに、国家収入は半減し、貨幣価値の下落は地代収入に頼る貴族を苦しめていた。貴金属とくに金の不足が深刻だった。イスラム商人との通商でサハラ越えのキャラバン・ルートが金をもたらすことは知られていて、モロッコは土地が肥沃で、サトウキビの産地でもあった。
ヨーロッパの最西端のポルトガルは、新生アヴィス朝による政治的再編成、レコンキスタの聖戦意識や1411年のカスティーリャとの和約などがあって対外進出を選んだらしい。
1410年代 ヨーロッパ史年表
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
地図 ワイドアトラス 世界地図帳 平凡社
1415年、ポルトガル艦隊はモロッコの港町セウタを攻略した。イスラム側の諸権力が分裂していたこともあって容易に攻略できたが、交易ルートの末端で、ここを維持するだけでは物産の流れを掌握することはできなかった(ジョアン1世はこの攻略に慎重だったとされるが、地中海のイスラム側の基地を攻略できた)。
アヴィス朝の方針は、モロッコでの軍事的拡大・領域支配をめざす勢力と、西アフリカ沿岸で商業的拡大、拠点支配をめざす勢力の間で揺れることになる。80年頃までは、レコンキスタの延長として、また教皇庁からの援護もあって、モロッコでの軍拡路線を進めることになった。
アヴィス朝の方針は、モロッコでの軍事的拡大・領域支配をめざす勢力と、西アフリカ沿岸で商業的拡大、拠点支配をめざす勢力の間で揺れることになる。80年頃までは、レコンキスタの延長として、また教皇庁からの援護もあって、モロッコでの軍拡路線を進めることになった。
