
ヘンリ5世 オールドカースルの反乱
1413年3月、ヘンリ5世(在位1413〜22)が即位した。ランカスタ家による王位継承は順調で、弟トマスも兄によく仕え、もうひとりの弟ハンフリもヘンリの存命中は従順だった。財務府は赤字財政を克服し、対外戦争を実施する条件は整っていた。
しかし、治世の初めに二つの事件が起こった。
オールドカースルの反乱
ジョン・オールドカースルは皇太子時代のヘンリに仕えた騎士。教養があったがロラード派だった。1413年9月、カンタベリ大司教に査問され、異端を変えようとしないため、ロンドン塔に収監され焚刑にかけられることになったが、その前に脱走した。1414年1月、ロラード派が集結し蜂起するという噂があり、密告によって集結地を知った国王派がロラード派の人々を捕らえたが、オールドカースルは逃れた。逮捕者は反逆者として処刑された。
しかし、治世の初めに二つの事件が起こった。
オールドカースルの反乱
ジョン・オールドカースルは皇太子時代のヘンリに仕えた騎士。教養があったがロラード派だった。1413年9月、カンタベリ大司教に査問され、異端を変えようとしないため、ロンドン塔に収監され焚刑にかけられることになったが、その前に脱走した。1414年1月、ロラード派が集結し蜂起するという噂があり、密告によって集結地を知った国王派がロラード派の人々を捕らえたが、オールドカースルは逃れた。逮捕者は反逆者として処刑された。
以後イングランドではロラード派の勢力は衰えていった。1417年、オールドカースルは捕らえられ焚刑死した。
1414年から始まったコンスタンツの教会会議で、教会の分裂が解決されてマルティヌス5世が選ばれ、フスの火刑が決まった。
1415年、ヘンリ5世がフランスへ侵入するため、サウサンプトンに兵を集めていたとき、王位簒奪の陰謀が発覚した。エドワード3世の息子ライオネルの子孫で、リチャード2世が晩年、後継者に指名していたとされる辺境伯エドマンド・モーティマを王位に就けようとするものだった。首謀者はヨーク公エドマンドの息子ケンブリッジ伯、元財務府長官らと謀っていた。密告で事前に知ったヘンリは、首謀者3人を処刑してフランスへ向かった。
1410年代
世界各国史11 イギリス史
1414年から始まったコンスタンツの教会会議で、教会の分裂が解決されてマルティヌス5世が選ばれ、フスの火刑が決まった。
1415年、ヘンリ5世がフランスへ侵入するため、サウサンプトンに兵を集めていたとき、王位簒奪の陰謀が発覚した。エドワード3世の息子ライオネルの子孫で、リチャード2世が晩年、後継者に指名していたとされる辺境伯エドマンド・モーティマを王位に就けようとするものだった。首謀者はヨーク公エドマンドの息子ケンブリッジ伯、元財務府長官らと謀っていた。密告で事前に知ったヘンリは、首謀者3人を処刑してフランスへ向かった。
1410年代
世界各国史11 イギリス史
