
カスペ会議 シチリア王国
1410年、アラゴン国王とシチリア国王(マルティン2世)を兼位していた老マルティンが死去した。国王空位のアラゴン連合王国は、1412年カスペに9人の調停者を集め、トラスタマラ家のカスティーリャ国王フアン1世の息子フェルナンド(フェルディナンド)1世を国王に選出した。フェルナンドの母は、アラゴン国王ペドロ4世の娘、老マルティンの妹だった。これによってフェルナンドはアラゴン連合王国国王、サルデーニャ国王、シチリア国王を兼ねることになった。
1410年代
世界各国史15 イタリア史
1410年代
世界各国史15 イタリア史
内紛で消耗していたシチリアの貴族は、アラゴン国王に対抗する力はなく、翌年のカターニア王国会議でこれを受け入れた。シチリア王国は1296年以来再度、アラゴン国王の同君国家連合の一員になった。シチリア王国議会は、シチリアを統治する「副王」に国王の相続者、長男アルフォンソを希望したが、弟フアンが副王として派遣された。
1416年、フェルナンドを継承したアラゴン国王アルフォンソ5世は、弟フアンを帰国させ、自分の副官とレリダ司教をともに副王として派遣した。以後シチリア王国は、イベリアから派遣された役人が統治する属国になった。
1416年、フェルナンドを継承したアラゴン国王アルフォンソ5世は、弟フアンを帰国させ、自分の副官とレリダ司教をともに副王として派遣した。以後シチリア王国は、イベリアから派遣された役人が統治する属国になった。