
エーリク・ア・ポンメルン 親政始める
1412年、摂政マルガレーテが死去し、エーリク・ア・ポンメルンの親政が始まった頃から連合と各国の利害対立が現れてきた。エーリクはユラン半島のスレースヴィ公領をめぐって北ドイツのホルシュタイン伯との長期戦争(1416〜23年、1426〜32年)にはいり、ハンザ諸都市はホルシュタイン伯を支持した。また1429年にはエーアソン海峡を通る船舶に通行税(海峡税・ズント税)を導入して、ハンザ同盟からの強い反発を受けた。ハンザ同盟は連合にたいして経済封鎖をおこない、北欧諸国とくにスウェーデンに打撃を与えた。
エーリクはエーアソン海峡で通行税を課し、ユラン半島南部の陸路をおさえることで、バルト海商業を支配していたハンザ同盟・北ドイツ諸侯と対抗しようとしていた。
1410年代
世界各国史21 北欧史
エーリクはエーアソン海峡で通行税を課し、ユラン半島南部の陸路をおさえることで、バルト海商業を支配していたハンザ同盟・北ドイツ諸侯と対抗しようとしていた。
1410年代
世界各国史21 北欧史
財政難に陥ったエーリクはデンマークで課税を強化して、農民・貴族との間に緊張が生まれた。さらに課税強化・新税設置はスウェーデンにも適用された。中心部の北に広がるダーラナ地方には古くからの武装土地所有農民が多く、そこで生産される鉄・銅はストックホルムとリューベックのハンザ商人によって輸出されて、ダーラナの鉱山経営者や農民(ドイツからの移民の子孫を含む)は免税特権もあって繁栄していた。
エーリクの課税とハンザ同盟との対立はダーラナ地方の産業を脅かした。住民の既得権を無視し、デンマーク王国の戦争のためにスウェーデン王国の租税を使う、連合の趣旨に背く施策のようにもみえた。徴税責任者はデンマーク人で、反役人・反中央・反デンマーク感情が広まったとされる。ダーラナ地方への課税と鉄・銅が通るエーアソン海峡の通行税は、スウェーデンの生産者、商人、貿易特権によって利益を得ていた教会・貴族など多くの人々を苦しませた。
エーリクの課税とハンザ同盟との対立はダーラナ地方の産業を脅かした。住民の既得権を無視し、デンマーク王国の戦争のためにスウェーデン王国の租税を使う、連合の趣旨に背く施策のようにもみえた。徴税責任者はデンマーク人で、反役人・反中央・反デンマーク感情が広まったとされる。ダーラナ地方への課税と鉄・銅が通るエーアソン海峡の通行税は、スウェーデンの生産者、商人、貿易特権によって利益を得ていた教会・貴族など多くの人々を苦しませた。