
リチャード2世 廃位
リチャード2世はフランスに対して和平策をとり、1389年には3年間の休戦協定、1396年にはリチャードとフランス王の娘イザベルとの結婚とともに25年間の休戦協定が結ばれた。しかしブルターニュの要塞をフランスに引き渡したことは不評だった。王は1397年にランカスタ公の三人目の妻キャサリンの連れ子たちを認知し(ボーフォート家)、ランカスタ公の子ダービ伯ヘンリやノッティンガム伯など以前の反逆罪告発貴族を宮廷派へ懐柔する一方、グロスタ公、アランデル伯を逮捕し、反逆罪で告発させた。
1398年の議会で無慈悲議会の決定をすべて無効とし、王の権限が誰にも拘束されないことを宣言して、議会を寵臣からなる評議会に従属させた。国王に関税を生涯にわたって与える決定をさせ、ランカスタ公の二人の息子を国外追放にして寵臣政治が復活した。
1398年の議会で無慈悲議会の決定をすべて無効とし、王の権限が誰にも拘束されないことを宣言して、議会を寵臣からなる評議会に従属させた。国王に関税を生涯にわたって与える決定をさせ、ランカスタ公の二人の息子を国外追放にして寵臣政治が復活した。
1399年2月ランカスタ公が死去したが、リチャードは追放中のヘンリへの領地引き渡しを拒み、その相続権を奪った。5月アイルランドでの反乱を鎮圧するためにリチャードがイングランドを離れると、ヘンリがヨークシァに上陸、北英の支配権を脅かされていたパーシー家や国王代理のヨーク公の支持を得た。リチャードは帰国したが、大半の貴族はヘンリについた。
仲介者の立ち会いで会見がおこなわれ、9月リチャードは退位に同意させられロンドン塔に投獄された。翌日議会でリチャード廃位が承認され、ヘンリは承認を受けて王位に就いた。(ヘンリ4世 在位1399〜1413 ランカスタ朝成立)
1390年代
世界各国史11 イギリス史
仲介者の立ち会いで会見がおこなわれ、9月リチャードは退位に同意させられロンドン塔に投獄された。翌日議会でリチャード廃位が承認され、ヘンリは承認を受けて王位に就いた。(ヘンリ4世 在位1399〜1413 ランカスタ朝成立)
1390年代
世界各国史11 イギリス史
