
カルマル連合 成立
1396年、エーリク・ア・ポンメルンはデンマーク、スウェーデンでも王として承認された。これによって北欧3国は王を共通にする同君連合関係にはいった。
1397年スウェーデン南部の都市カルマルに3王国の高位聖職者、高位貴族が集まって、エーリク王の3王国連合王としての戴冠式がおこなわれた。カルマル連合の正式な成立。エーリクはすでに3王国それぞれの王だったので、たんなる同君連合ではなく、なんらかの国家連合だったらしい。3王国がそれぞれ独立した王国であること、エーリク以後も同一の連合王をもつことが合意された。3王国の独立を基礎にしたゆるい同盟と、3王国内の中央主権的王国形成が妥協したものらしい。
1390年代
世界各国史21 北欧史
1397年スウェーデン南部の都市カルマルに3王国の高位聖職者、高位貴族が集まって、エーリク王の3王国連合王としての戴冠式がおこなわれた。カルマル連合の正式な成立。エーリクはすでに3王国それぞれの王だったので、たんなる同君連合ではなく、なんらかの国家連合だったらしい。3王国がそれぞれ独立した王国であること、エーリク以後も同一の連合王をもつことが合意された。3王国の独立を基礎にしたゆるい同盟と、3王国内の中央主権的王国形成が妥協したものらしい。
1390年代
世界各国史21 北欧史
カルマル連合は各王国内の中央集権的王権強化と地方の独立的な連合体的政権(王国参事会・貴族寡頭制)との対立が、北欧全体に広がっていたことを示している。マルグレーテはスウェーデンとデンマークの伝統的有力者連合の権力基盤である王国参事会や州集会を形骸化して、直属の代官による統治をめざした。また内乱期に有力者たちが横領していた王領地や弱小所有者の土地を無償でもとに戻そうとした。土地を原状回復させることで、租税源・地代源として王権が強められた。
スウェーデンでは、慣行になれていないデンマーク人やドイツ人が役人として任用されたため、有力者や農民は不満だったが、アルブレクトが1408年まで海賊行為を続けていたため我慢を強いられていた。
スウェーデンでは、慣行になれていないデンマーク人やドイツ人が役人として任用されたため、有力者や農民は不満だったが、アルブレクトが1408年まで海賊行為を続けていたため我慢を強いられていた。