
セビーリャで反ユダヤ暴動
14世紀のカスティーリャでは、ブルゴスやトレド、コルドバ、セビーリャなどに信仰の自由と自治権を保障されたアルハマ(ユダヤ人共同体)が組織され、ユダヤ人の多くが主要都市のユダヤ人街で暮らしていた。一部の有力者は大規模商業や金融業、徴税請負にたずさわり、免税特権を受けていたが、大多数は小売り商業や手工業に従事する民衆層だった。有力ユダヤ人がアルハマ役人職を独占し、アルハマ当局を構成していたが、14世紀以降民主化を求める民衆との間の亀裂が深まっていた。
レコンキスタが進みペストが蔓延してくると、ユダヤ人を「潜在的キリスト教徒」とする楽観論が消えていった。ユダヤ人は儀礼殺人をおこない、キリスト教社会の破壊をもくろむ悪魔の手先、本質的に堕落した民とされた。14世紀初めから各地で散発的に反ユダヤ運動が始まり、トラスタマラ朝成立期の内乱のなかでも繰り返されていた。
レコンキスタが進みペストが蔓延してくると、ユダヤ人を「潜在的キリスト教徒」とする楽観論が消えていった。ユダヤ人は儀礼殺人をおこない、キリスト教社会の破壊をもくろむ悪魔の手先、本質的に堕落した民とされた。14世紀初めから各地で散発的に反ユダヤ運動が始まり、トラスタマラ朝成立期の内乱のなかでも繰り返されていた。

1391年、セビーリャで大規模なユダヤ人虐殺が起こった。この情報は商業ルート沿いの主要都市に広がり、コルドバ、トレド、ブルゴスなどで大規模なユダヤ人虐殺とシナゴーグ破壊がおこなわれた。さらに多くのユダヤ人がキリスト教への改宗を強いられた。有力ユダヤ人のなかには、キリスト教に改宗後ブルゴス司教に任じられた人も現れた。この反ユダヤ運動はアラゴン連合王国にも広がり、バルセロナやバレンシアのアルハマは壊滅的な打撃を受けた。
反ユダヤ運動がいったん落ち着いた、1432年首席ラビが、バリャドリーにアルハマ代表を集めて、アルハマの再建をめざす、ユダヤ人共同体条例を採択した。
1449年、食糧危機と物価高騰、政治的混乱を背景にトレドで大規模な反コンベルソ暴動が発生した。改宗後に支配層に入った一部のコンベルソへの反感、また「隠れユダヤ教徒(マラーノ)」への不信感もあった。この暴動は鎮圧されたが、その過程でキリスト教徒を「汚染」するコンベルソの「血」が問題とされた。コンベルソを主要な都市官職から排除する「判決法規」が制定された。これは「血の純潔規約」(ユダヤ人やモーロ人の祖先にもつ者を特定団体から排除)につながっていく。
1390年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
反ユダヤ運動がいったん落ち着いた、1432年首席ラビが、バリャドリーにアルハマ代表を集めて、アルハマの再建をめざす、ユダヤ人共同体条例を採択した。
1449年、食糧危機と物価高騰、政治的混乱を背景にトレドで大規模な反コンベルソ暴動が発生した。改宗後に支配層に入った一部のコンベルソへの反感、また「隠れユダヤ教徒(マラーノ)」への不信感もあった。この暴動は鎮圧されたが、その過程でキリスト教徒を「汚染」するコンベルソの「血」が問題とされた。コンベルソを主要な都市官職から排除する「判決法規」が制定された。これは「血の純潔規約」(ユダヤ人やモーロ人の祖先にもつ者を特定団体から排除)につながっていく。
1390年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史