
エーリク・ア・ポンメルン 即位
1387年8月、オーロフ(デンマーク王 オーロフ3世、ノルウェー王 オーラヴ4世)が17歳で急死した後、デンマーク参事会はデンマーク(ノルウェー)の摂政マルグレーテを「デンマーク王国全体の、完全な資格をもつ主婦にして主人かつ後見人」に選出した。
・王国の不分割を宣言
・女性の王位継承を認めていないデンマークで、主人 事実上の王としての権能を認める
・後見人 後継の王を選任する権限を認める
1388年、マルグレーテは王位継承者としてポンメルン公家のエーリヒを指定し、ノルウェーではただちに王に承認された。
1380年代
世界各国史21 北欧史
・王国の不分割を宣言
・女性の王位継承を認めていないデンマークで、主人 事実上の王としての権能を認める
・後見人 後継の王を選任する権限を認める
1388年、マルグレーテは王位継承者としてポンメルン公家のエーリヒを指定し、ノルウェーではただちに王に承認された。
1380年代
世界各国史21 北欧史
のちの初代連合王となるエーリク・ア・ポンメルン。マルグレーテの姉インゲボーとメクレンブルク家ハインリヒの娘マリーアがポンメルン公家に嫁して生まれた息子。メクレンブルク家の血を引いていて、マルグレーテの息子オーロフとデンマーク王位を争ったアルプレヒト4世の甥になる。
1388年スウェーデン参事会の反アルブレクト派とノルウェー参事会は、マルグレーテを「完全な資格をもつ主婦にして正当なる主人」として承認した。アルブレクト王はメクレンブルクなどから騎士を集め、1389年スウェーデン南部で決戦がおこなわれた。デンマーク軍を主力とするマルグレーテ側が勝利し、アルブレクトは捕虜となった。1395年、ハンザ諸都市の仲介で和平が成立した。この和平で北欧3国は単一の政治団体として機能した。アルブレクトは釈放されると、ゴットランド島ヴィースビュの城塞を占拠して、安全なバルト海交通を脅かす海賊になった。
1388年スウェーデン参事会の反アルブレクト派とノルウェー参事会は、マルグレーテを「完全な資格をもつ主婦にして正当なる主人」として承認した。アルブレクト王はメクレンブルクなどから騎士を集め、1389年スウェーデン南部で決戦がおこなわれた。デンマーク軍を主力とするマルグレーテ側が勝利し、アルブレクトは捕虜となった。1395年、ハンザ諸都市の仲介で和平が成立した。この和平で北欧3国は単一の政治団体として機能した。アルブレクトは釈放されると、ゴットランド島ヴィースビュの城塞を占拠して、安全なバルト海交通を脅かす海賊になった。
