
ゼンパハの戦い
オーストリア大公ルドルフ4世には息子がいなかったため、ルドルフの二人の弟、アルブレヒト3世とレオポルト3世が後を継いで共同で統治していた。1379年、家領が拡大したため分割し、アルブレヒトが下オーストリア、レオポルトがシュタイアーマルク、ケルンテン、クライン、ティロールを得た。
1386年になって、スイスでハプスブルク家支配に対する激しい抵抗がおき、抑えようとしたレオポルト3世はゼンパハの戦いで戦死した。スイス同盟諸州は独立し、ハプスブルク家は東方(ドナウ・ヨーロッパ)で勢力拡大を目指すことになった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1380年代
1386年になって、スイスでハプスブルク家支配に対する激しい抵抗がおき、抑えようとしたレオポルト3世はゼンパハの戦いで戦死した。スイス同盟諸州は独立し、ハプスブルク家は東方(ドナウ・ヨーロッパ)で勢力拡大を目指すことになった。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史 1380年代
14世紀後半ハプスブルク家は領域支配の強化を図った。ルツェルンはそれに対抗してハプスブルク家支配からの独立、ベルンのような農村を支配する都市国家の形成を目指した。
1385年、ルツェルンはハプスブルク家の支配地を攻撃。1386年、ハプスブルク家はオーストリア公レオポルト3世と精鋭騎兵をスイスに送り反撃しようとした。しかしルツェルンの西北13kmのゼンパハで森林四邦の歩兵に対し壊滅的敗北、レオポルト3世も戦死した。
これを機にグラールスも反乱を起こす。1388年ハプスブルク家はネーフェルスで敗北、スイスからほとんど手を引くことになった。
1389年の休戦条約でルツェルン、ツーク、グラールスはオーストリアから独立、解放された。
1385年、ルツェルンはハプスブルク家の支配地を攻撃。1386年、ハプスブルク家はオーストリア公レオポルト3世と精鋭騎兵をスイスに送り反撃しようとした。しかしルツェルンの西北13kmのゼンパハで森林四邦の歩兵に対し壊滅的敗北、レオポルト3世も戦死した。
これを機にグラールスも反乱を起こす。1388年ハプスブルク家はネーフェルスで敗北、スイスからほとんど手を引くことになった。
1389年の休戦条約でルツェルン、ツーク、グラールスはオーストリアから独立、解放された。