
フアン1世即位
1379年、エンリケ2世を継いでフアン1世(1379〜90)が即位した。フアン1世はポルトガル王家出身のベアトリスを王妃にしていて、1385年王位継承を求めてポルトガルに侵攻した。リスボンやポルトの市民たちはアヴィス騎士団長ジョアンを擁立、イングランドの支援も受けてアルジュバロータの戦いでカスティーリャ軍を破った。1386年にはランカスター公ジョンが北西部ガリシア地方に侵攻し、オレンセに宮廷を構えてカスティーリャ王を称した。
このような状況で、フアン1世は高位聖職者、貴族、都市代表各4名で構成される「永続的コルテス機関」としての国王顧問会議(コンセーホ・レアル)を創設した。ガリシア地方の軍事情勢が好転すると、都市代表の代わりに法曹・文官を登用した。これは国王顧問会議の官僚化の始まりになった。またランカスター公女と王太子エンリケとの結婚を取り決めて、王位継承問題を解決、王太子(アストゥリアス公)制度を導入して王権強化を図った。
このような状況で、フアン1世は高位聖職者、貴族、都市代表各4名で構成される「永続的コルテス機関」としての国王顧問会議(コンセーホ・レアル)を創設した。ガリシア地方の軍事情勢が好転すると、都市代表の代わりに法曹・文官を登用した。これは国王顧問会議の官僚化の始まりになった。またランカスター公女と王太子エンリケとの結婚を取り決めて、王位継承問題を解決、王太子(アストゥリアス公)制度を導入して王権強化を図った。
王国全土の治安維持のために、各都市から民兵を供出させてエルマンダー・へネラルと呼ばれる治安維持機構を組織した。
またヘロニモ会のグアダルーペ修道院やバリャドリーのサン・ベニート修道院創建にも力を尽くした。
1370年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
またヘロニモ会のグアダルーペ修道院やバリャドリーのサン・ベニート修道院創建にも力を尽くした。
1370年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史