
フィレンツェ チオンピの乱
1375年から78年にかけて、フィレンツェは領土をめぐって教皇と戦った(八聖人戦争)。これによって経済活動が停滞し、民衆の生活に影響したため、1378年6月、新参者(新興商人)が親教皇の傾向が強かった既成勢力から政治の実権を奪った。7月には新参者を含む上層に有利な税制に反対する中層・下層が蜂起して、中層を中心とする執政府(シニョリーア)ができた。労働者層は3つの同職組合(アルテ)をつくり、執政府に参加した。政治的に無権利だった労働者層が政権に参加することができた。
8月、失業状態が続いていた労働者層は、雇用を求めて示威運動を展開したが、中層による政権は危機を感じて武力で弾圧した。この労働者には、毛織物工業の労働者が多かったため「チオンピの乱」と呼ばれる。
1382年、新参者と既成勢力の連合勢力によって、中層の政権が倒された。この後、新参者と既成勢力の同化が進み、都市の実権を握る有力家族が現れてくる。
1370年代
世界各国史15 イタリア史
1382年、新参者と既成勢力の連合勢力によって、中層の政権が倒された。この後、新参者と既成勢力の同化が進み、都市の実権を握る有力家族が現れてくる。
1370年代
世界各国史15 イタリア史