
キオッジァの戦い 本土進出
1378〜80年のキオッジァの戦いでジェノヴァ(パドヴァ、ハンガリーと同盟)に逆転で勝利したヴェネツィアは、潟湖の島々から本土(堅固な立地 テッラフェルマ)に進出した。商路の安全や食糧確保のためだったが、ミラノのジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティと対立した。1402年のジャン・ガレアッツォ急死のあと、急速に支配領域を拡大して、神聖ローマ帝国(イタリア王国)内に支配領域を得たことになり、教皇領内にも支配領域を持つようになった。
1370年代
1370年代
1388年にトレヴィーゾ、1404年にヴィチェンツァ、1405年にヴェローナとパドヴァ、1426年にプレッシャ、1428年にミラノ近くのベルガモを獲得している。
帝国領域内でのヴェネツィアの領土支配は、1454年のローディの和約で国際的な承認を得た。
世界各国史15 イタリア史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房
帝国領域内でのヴェネツィアの領土支配は、1454年のローディの和約で国際的な承認を得た。
世界各国史15 イタリア史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房
