
ランカスタ公とリチャード2世
1377年の善良議会開催中に黒太子エドワードが病死し、ランカスタ公ジョン・オヴ・ゴーントが評議会の筆頭となった。コモンズの議長ピータ・ド・ラ・メアは逮捕され、改革に好意的だったウィンチェスタ司教は宮廷から追われた。議会では、ランカスタ公が善良議会の決定を取り消させた。対外戦争の費用をまかなうために、14歳以上の一人当り4ペンスの人頭税賦課を、エドワード3世在位50年を記念して、恩赦と引き換えに受け入れることになった。教会会議ではランカスタ公への非難を、彼が保護しているウィクリフに向けた。2月の会議でウィクリフがランカスタ公の影響によって追及を免れると、ロンドン市民は公の関係者たちとその財産を襲った。
1370年代
世界各国史11 イギリス史
1370年代
世界各国史11 イギリス史
6月エドワード3世が亡くなり、黒太子の息子リチャードが王位に就いた(10歳、在位1377〜99)。ランカスタ公や叔父がいたが、摂政はおかれず評議会による統治体制がとられることになった。
先の人頭税の徴収は、正確な人口把握ができてなくて失敗した。1379年の議会で再び人頭税賦課が決定され、公の6ポンドあまりから農民の4ペンスまでの段階がつけられたが、脱税者がでた。1380年末、三度目の人頭税が決定され、農民はひとり12ペンスとされた。政府は徴税を委員に請け負わせ、予定額の3分の1を前もって財務府に払い込ませた。翌年初めから人口調査をやり直し、特定の州や郡(ハンドレッド)に調査委員と徴税委員を派遣した。
ワット・タイラの一揆につながっていく。
先の人頭税の徴収は、正確な人口把握ができてなくて失敗した。1379年の議会で再び人頭税賦課が決定され、公の6ポンドあまりから農民の4ペンスまでの段階がつけられたが、脱税者がでた。1380年末、三度目の人頭税が決定され、農民はひとり12ペンスとされた。政府は徴税を委員に請け負わせ、予定額の3分の1を前もって財務府に払い込ませた。翌年初めから人口調査をやり直し、特定の州や郡(ハンドレッド)に調査委員と徴税委員を派遣した。
ワット・タイラの一揆につながっていく。