
ヴェンツェル4世
1376年、皇帝カール4世を継いだのは長男ヴェンツェル(国王在位1376〜1400、ボヘミア王在位1363〜1419)。
1377年、1309年以来アヴィニョンに置かれていたローマ教皇庁がカール4世の尽力もあってローマに戻り、翌年ウルバヌス6世がローマ教皇に選出された。しかし一部の枢機卿団がアヴィニョンで別の教皇を立てたため、この年から教会分裂が始まった。さらに公会議の決定を重視する主張が強まり、1409年のピサ公会議で別の教皇が選出され、三人の教皇が並び立つことになった。(大シスマ 教会分裂 1378〜1417)
世界各国史13 ドイツ史 1370年代
1377年、1309年以来アヴィニョンに置かれていたローマ教皇庁がカール4世の尽力もあってローマに戻り、翌年ウルバヌス6世がローマ教皇に選出された。しかし一部の枢機卿団がアヴィニョンで別の教皇を立てたため、この年から教会分裂が始まった。さらに公会議の決定を重視する主張が強まり、1409年のピサ公会議で別の教皇が選出され、三人の教皇が並び立つことになった。(大シスマ 教会分裂 1378〜1417)
世界各国史13 ドイツ史 1370年代
政治的才覚に欠けていたらしい、ヴェンツェル4世は1387年から1402年の間に豪華彩色写本を次々と制作させた。「カール4世の黄金文書」「ヴェンツェルの聖書」6巻「プトレマイオス注解」など、神学から天文学にいたる蔵書はベリー侯ジャンのコレクションにも劣らないとされている。
1400年ヴェンツェル4世は選帝侯たちからドイツ王位を追われてしまった。ボヘミア王ヴェンツェルは、1419年プラハでの窓外放出事件の衝撃を受けて、その翌月に急死している。
「カール4世の黄金文書」については 名画への旅4 中世3 講談社 に解説があります。
1400年ヴェンツェル4世は選帝侯たちからドイツ王位を追われてしまった。ボヘミア王ヴェンツェルは、1419年プラハでの窓外放出事件の衝撃を受けて、その翌月に急死している。
「カール4世の黄金文書」については 名画への旅4 中世3 講談社 に解説があります。