
デンマーク シュトラールズントの和議
メクレンブルク家ハインリヒの軍事力でスコーネの要塞を確保したヴァルデマーは、1360年にスコーネを軍事奪還した。しかし翌年のエーランド島、ゴットランド島への遠征は侵略行為で、スウェーデンだけでなく、バルト海の安定を望むハンザ同盟やドイツ・ポーランド沿岸部のドイツ諸侯とも敵対することになった。
77のハンザ都市、メクレンブルク、ホルシュタイン、スレースヴィ、スウェーデン(1364年にメクレンブルク公子アルブレクトが王)が反デンマーク連合に結集した。
1370年代
世界各国史21 北欧史
77のハンザ都市、メクレンブルク、ホルシュタイン、スレースヴィ、スウェーデン(1364年にメクレンブルク公子アルブレクトが王)が反デンマーク連合に結集した。
1370年代
世界各国史21 北欧史
1370年、デンマークは屈服してシュトラールズントの和議を結んだ。賠償を支払い、スコーネ諸城の使用権と交易権を15年間ハンザ同盟に貸与することに同意した。しかしデンマークの全領土は保持され、ヴァルデマーはハンザ同盟にとって脅威であり続けた。
1375年ヴァルデマーが急死した。一人息子は早世していて、二人の娘がそれぞれ生んだ男子がもっとも近い王位継承権者だった。
メクレンブルク公家 リューベックの東にあるヴェンド人諸侯 ドイツ人の東進以前に成立し、直接征服されず生き残った。
1375年ヴァルデマーが急死した。一人息子は早世していて、二人の娘がそれぞれ生んだ男子がもっとも近い王位継承権者だった。
メクレンブルク公家 リューベックの東にあるヴェンド人諸侯 ドイツ人の東進以前に成立し、直接征服されず生き残った。