
ポワティエの戦い
1354年黒太子エドワードがギュイエンヌに攻め入ったことで、1347年からの休戦協定が終わった。
1356年、黒太子エドワードがボルドー、ベリ(トゥールの南東)を攻め、9月にはポワティエの戦いでクレシーの戦いと同様に、長弓を使ったイングランド軍が大勝して、フランス国王ジャン2世を人質とした。
フランス軍の速射能力が低く重いジェノヴァ弩に対して、3倍の速射能力を備えた2mの長弓を使うイングランド軍は、遠距離から矢の雨を降らせることができた。次いで弓兵を囲んでいた軽騎兵が敵陣を包囲するために旋回運動をおこない、続いて後陣にいた重装騎兵が敵陣に突撃する。伝統的な正面からの突撃作戦より遙かに効果的だった。
黒太子エドワード(1330〜76)エドワード3世の長子、黒い鎧を愛用した。
右図、北部は1346年クレシーの戦い
1350年代
世界各国史11 イギリス史・世界各国史12 フランス史
英仏百年戦争 集英社新書
世界史用語集 山川出版社
1356年、黒太子エドワードがボルドー、ベリ(トゥールの南東)を攻め、9月にはポワティエの戦いでクレシーの戦いと同様に、長弓を使ったイングランド軍が大勝して、フランス国王ジャン2世を人質とした。
フランス軍の速射能力が低く重いジェノヴァ弩に対して、3倍の速射能力を備えた2mの長弓を使うイングランド軍は、遠距離から矢の雨を降らせることができた。次いで弓兵を囲んでいた軽騎兵が敵陣を包囲するために旋回運動をおこない、続いて後陣にいた重装騎兵が敵陣に突撃する。伝統的な正面からの突撃作戦より遙かに効果的だった。
黒太子エドワード(1330〜76)エドワード3世の長子、黒い鎧を愛用した。
右図、北部は1346年クレシーの戦い
1350年代
世界各国史11 イギリス史・世界各国史12 フランス史
英仏百年戦争 集英社新書
世界史用語集 山川出版社
